最高裁平成28年12月19日刑集70巻8号865頁・刑訴百選【11版】51事件(被告人の訴訟能力)
1 はじめに
本判例は、被告人に訴訟能力がないために公判手続が停止された後訴訟能力の回復の見込みがないと判断される場合と公訴棄却の可否が問題となりました。
2 前提となる知識
⑴条文
刑訴法1条
この法律は、刑事事件につき、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ、事案の真相を明らかにし、刑罰法令を適正且つ迅速に適用実現することを目的とする。
刑訴法314条1項
被告人が心神喪失の状態に在るときは、検察官及び弁護人の意見を聴き、決定で、その状態の続いている間公判手続を停止しなければならない。 但し、無罪、免訴、刑の免除又は公訴棄却の裁判をすべきことが明らかな場合には、被告人の出頭を待たないで、直ちにその裁判をすることができる。
刑訴法338条
左の場合には、判決で公訴を棄却しなければならない。
①から④まで略
④ 公訴提起の手続がその規定に違反したため無効であるとき。
⑵判例
・最高裁昭和29年7月30日刑集8巻7号1231頁
「訴訟能力というのは、一定の訴訟行為をなすに当り、その行為の意義を理解し、自己の権利を守る能力を指す」
・最高裁平成7年2月28日刑集49巻2号481頁
「刑訴法314条1項にいう「心神喪失の状態」とは、訴訟能力、すなわち、被告人としての重要な利害を弁別し、それに従って相当な防御をすることのできる能力を欠く状態をいう」
3 問題の所在(判例タイムズ1448号66頁)
「本件は,統合失調症に罹患していた被告人が,平成7年5月3日,愛知県内の神社の境内で,面識のない2名を文化包丁で刺殺したとして,殺人,銃砲刀剣類所持等取締法違反により起訴された事案である。
第1審において,被告人が訴訟能力を欠くとして約17年間公判手続が停止されたという経緯があり,被告人に訴訟能力がないために公判手続が停止された後,その訴訟能力の回復の見込みがない場合,裁判所がいかなる措置を講ずるべきか,具体的には,そのような場合に第1審裁判所が公訴棄却の裁判をすることの可否が争点となった。」「刑訴法314条1項は,被告人が「心神喪失の状態」すなわち訴訟能力を欠く状態にあるときは,原則として,「その状態の続いている間公判手続を停止しなければならない」と規定している。そして,被告人に訴訟能力の回復の見込みがない場合に,検察官が同法257条により公訴を取り消せば,裁判所は,同法339条1項3号により,公訴棄却の決定をもって手続を打ち切らなければならない。しかし,刑訴法は,被告人に訴訟能力がないために公判手続が停止された後,その回復の見込みがない場合で,検察官が公訴を取り消さないとき,裁判所がいかなる措置をとることができるかについて,明文の規定を設けていない。そこで,このような場合における裁判所による訴訟手続の打切りの可否等が問題となる。」
4 判旨
「第1 上告趣意に対する判断
弁護人伊神喜弘,同櫻井義也の上告趣意のうち,判例違反をいう点は,引用の判例が所論のような趣旨まで判示したものではないから,前提を欠き,その余は,憲法違反をいう点を含め,実質は単なる法令違反の主張であって,刑訴法405条の上告理由に当たらない。
第2 職権判断
所論に鑑み,職権をもって調査すると,原判決には,刑訴法338条4号の解釈適用を誤った違法があり,同法411条1号により破棄を免れない。その理由は,以下のとおりである。
1 第1審の審理経過と第1審判決の要旨
(1) 第1審の審理経過
本件公訴事実の要旨は,「被告人は,平成7年5月3日,愛知県豊田市内の神社境内において,当時66歳と1歳の被害者2名を,いずれも殺意をもって文化包丁で刺殺し,その際,業務その他正当な理由による場合でないのに,上記文化包丁を携帯した」というものである。
被告人は,上記殺人,銃砲刀剣類所持等取締法違反の事実により,平成7年9月25日に起訴された。同年11月20日の第1回公判期日において,人定質問,起訴状朗読が行われた後,弁護人により,被告人が精神疾患に罹患していることを理由に公判手続の停止の申立てがされ,第2回公判期日以降,公判手続の停止に関する審理が行われた。そして,平成9年3月28日の第7回公判期日において,第1審裁判所は,被告人が心神喪失の状態にあると認め,刑訴法314条1項により,その状態の続いている間,公判手続を停止する旨決定した。その後,第1審裁判所は,被告人の勾留の執行を停止する旨決定し,被告人は,精神保健及び精神障害者福祉に関する法律に基づく措置入院を受けた。被告人の入院治療はその後も続けられ,平成26年3月20日の第1審判決まで約17年間にわたり公判手続が停止された。
(2) 第1審判決の要旨
第1審判決は,被告人について,非可逆的な慢性化した統合失調症の症状に脳萎縮による認知機能の障害が重なっており,訴訟能力はなく,その回復の見込みがない旨判示した。
そして,第1審判決は,被告人に訴訟能力の回復の見込みがなく,裁判所による公訴の取消しの検討依頼等に対し,検察官が公訴を取り消さない旨繰り返し回答している本件においては,公訴提起後に重要な訴訟条件を欠き,後発的に「公訴提起の手続がその規定に違反したため無効」になったものとして,刑訴法338条4号を準用して,公訴棄却の判決を言い渡した。
2 原審の審理経過と原判決の要旨
(1) 原審の審理経過
検察官が控訴し,第1審判決には不法に公訴を棄却した誤りがある旨主張した。
(2) 原判決の要旨
原判決は,第1審判決が,被告人について,訴訟能力が欠けており,その回復の見込みがないとした判断には,誤りはない旨判示した。
そして,原判決は,刑訴法上,公判手続を停止した後,被告人に訴訟能力の回復の見込みがないのに検察官が公訴を取り消さない場合,裁判所がいかなる措置を講ずべきかについては規定がなく,訴追の権限を独占的に有している検察官が公訴を取り消さないのに,裁判所が訴訟手続を一方的に打ち切ることは基本的には認められておらず,検察官による公訴の取消しの合理的な運用が期待されているというのが自然な理解であり,当事者追行主義とも整合する旨説示し,裁判所が訴訟手続を打ち切ることができるのは,公判手続を停止した後,訴訟能力の回復の見込みがないのに検察官が公訴を取り消さないことが明らかに不合理であると認められるような極限的な場合に限られる旨判示した。
その上で,本件については,公訴を取り消さない判断をした検察官の裁量を合理的でないと断定することはできず,検察官が公訴を取り消さないことが明らかに不合理であると認められる極限的な場合に当たるとはいえないとし,本件公訴を棄却した第1審判決は,刑訴法338条4号の解釈適用を誤り,不法に公訴を棄却したものであって,破棄を免れないとして,第1審裁判所に差し戻した。
3 当裁判所の判断
(1) 被告人は,非可逆的で慢性化した統合失調症の症状に加え,脳萎縮による認知機能の障害が重なり,訴訟能力が欠けており,その回復の見込みがないとした原判断は,正当として是認することができる。
(2) 訴訟手続の主宰者である裁判所において,被告人が心神喪失の状態にあると認めて刑訴法314条1項により公判手続を停止する旨決定した後,被告人に訴訟能力の回復の見込みがなく公判手続の再開の可能性がないと判断するに至った場合,事案の真相を解明して刑罰法令を適正迅速に適用実現するという刑訴法の目的(同法1条)に照らし,形式的に訴訟が係属しているにすぎない状態のまま公判手続の停止を続けることは同法の予定するところではなく,裁判所は,検察官が公訴を取り消すかどうかに関わりなく,訴訟手続を打ち切る裁判をすることができるものと解される。刑訴法はこうした場合における打切りの裁判の形式について規定を置いていないが,訴訟能力が後発的に失われてその回復可能性の判断が問題となっている場合であることに鑑み,判決による公訴棄却につき規定する同法338条4号と同様に,口頭弁論を経た判決によるのが相当である。
したがって,被告人に訴訟能力がないために公判手続が停止された後,訴訟能力の回復の見込みがなく公判手続の再開の可能性がないと判断される場合,裁判所は,刑訴法338条4号に準じて,判決で公訴を棄却することができると解するのが相当である。
(3) そうすると,これと異なる解釈に基づいて,公訴棄却を言い渡した第1審判決を破棄した原判決には,刑訴法338条4号の解釈適用を誤った違法があり,この違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであって,原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。
そして,以上の検討によれば,刑訴法338条4号を準用して本件公訴を棄却した第1審判決は正当であり,第1審判決には不法に公訴を棄却した誤りがある旨主張する検察官の控訴も理由がないことに帰する。
よって,刑訴法411条1号により原判決を破棄し,同法413条ただし書,414条,396条により検察官の控訴を棄却することとし,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり判決する。なお,裁判官池上政幸の補足意見がある。
裁判官池上政幸の補足意見は,次のとおりである。
私は,法廷意見に賛同するものであるが,訴訟能力の回復可能性が問題となる事案における訴訟手続及び裁判の在り方などについて,補足的に意見を述べておくこととしたい。
1 裁判所は,被告人が,心神喪失の状態にあるとき,すなわち,被告人としての重要な利害を弁別し,それに従って相当な防御をする能力(訴訟能力)を欠いていると認めるときは,公判手続を停止しなければならない(刑訴法314条1項本文,最高裁平成……7年2月28日第三小法廷決定・刑集49巻2号481頁参照)。この心神喪失の概念は,精神医学的知見等を基にした法的判断であるが,訴訟手続における問題であるので,弁護人が刑訴法によって与えられた権限を行使するなどして被告人を適切に援助し,裁判所が後見的役割を果たすことも考慮して判断すべきものと解される(最高裁平成……10年3月12日第一小法廷判決・刑集52巻2号17頁参照)。
したがって,裁判所は,公判手続停止決定をするに当たり,弁護人による防御の十全を図るための弁護活動や裁判所の後見的関与を考慮して,具体的に被告人の自己の立場の理解の程度,状況判断,供述や対応の的確性などを見極め,担当医師や精神医学等の専門家に鑑定意見を求めるなどして,被告人に訴訟能力が欠如しているかどうかについて,慎重に審理を尽くすべきである。
2 公判手続停止決定は,被告人の訴訟能力が回復したときには公判手続を再開することを当然の前提としているものである。したがって,裁判所は,同決定後も,職権で,被告人の訴訟能力の回復状況について,定期的に,検察官及び弁護人の意見を聴き,担当医師の所見等を確認するなどの調査を行って被告人の病状を把握し,必要により,訴訟能力が回復したかどうかについての鑑定を実施するなどし,訴訟能力が回復したと認めるときは速やかに同決定を取り消すなどして公判手続を再開すべきである。
3 裁判所において,このような継続的な職権調査の結果によっても,訴訟能力の欠如が回復する見込みがなく,公判手続再開の可能性がないと判断した場合,この訴訟手続を打ち切ることができるかどうかについて刑訴法は明文の規定を置いていないが,同法の他の規定により考えられる方策としては,検察官に対し,第1審判決前における公訴を取り消す権限(同法257条)を行使するよう促す方法がある。これによると,裁判所は,訴訟指揮権の行使として,検察官に公訴を取り消すよう促すことができるのであるから,検察官がこれに応じて公訴を取り消したときは,裁判所は決定で公訴を棄却する(同法339条1項3号)こととなる。こうした方法は,裁判所と検察官との間で訴訟能力の回復可能性について見解の食い違いがないときには,形骸化した状態となっている訴訟手続を速やかに打ち切るという観点から見て適切なものといえるが,その反面,検察官が,被告人の訴訟能力の回復可能性について見解を異にする場合には,公訴は取り消されず訴訟が係属したままとなることは避け難い。
4 刑訴法は,裁判所の主宰の下に,当事者による訴訟追行を基調として,事案の真相を解明し刑罰法令を適正かつ迅速に適用実現することを目的としている(同法1条)のであるから,当事者である被告人について,訴訟能力の欠如が回復する見込みがないときには,実質的に当事者の一方が存在しない状態となり,その基本的な訴訟構造が失われたということができる。このようにもはや形骸化したともいえる訴訟係属について,裁判所が訴訟手続を打ち切ることができないとすることは同法が予定するところではないと考えられ,裁判所は,検察官の公訴取消権の行使の問題とは関わりなく,訴訟手続を打ち切ることができると解される。その訴訟手続を打ち切るための裁判の在り方としては,被告人が実質的に欠けて基本的な訴訟構造が成り立たなくなったこと(同法339条1項4号参照)を理由とするので,公訴棄却の形式裁判によるべきであり,判断すべき内容や上訴の在り方などに鑑みると,判決で,その判断を示すのが相当である。
すなわち,訴訟能力の回復可能性についての判断は,医師等の専門家の意見を聴取するなどして時間をかけた経過観察が必要なものである上,実質的に訴訟手続の最終的な打切りにつながるものであるから,特に慎重に審理を尽くすことが求められ,被告人の出頭は要しない(刑訴法314条1項ただし書)ものの,口頭弁論を開き,これに基づいて判決することが必要であり(同法43条1項),公訴棄却の判決に対する上訴の方法としては控訴の申立てを認めるのが相当である。また,実際には想定し難いが,検察官は,公訴棄却判決確定後,病状の改善等により訴訟能力が回復したと認めるときは,再び公訴を提起することもあり得よう。
刑訴法338条4号に準じて判決により公訴を棄却することができるものとした法廷意見は,このような点を踏まえたものであり,同法の趣旨・目的に沿うものであると考えられる。」
5 解説(判例タイムズ1448号66頁)
「1 本件は,統合失調症に罹患していた被告人が,平成7年5月3日,愛知県内の神社の境内で,面識のない2名を文化包丁で刺殺したとして,殺人,銃砲刀剣類所持等取締法違反により起訴された事案である。
第1審において,被告人が訴訟能力を欠くとして約17年間公判手続が停止されたという経緯があり,被告人に訴訟能力がないために公判手続が停止された後,その訴訟能力の回復の見込みがない場合,裁判所がいかなる措置を講ずるべきか,具体的には,そのような場合に第1審裁判所が公訴棄却の裁判をすることの可否が争点となった。
2 第1審の名古屋地裁岡崎支部は,被告人に訴訟能力の回復の見込みがないと判断した上で,本件については,「公訴提起後に重要な訴訟条件を欠き,後発的に『公訴提起の手続がその規定に違反したため無効』になったもの」として,刑訴法338条4号を準用して公訴棄却の判決をした。
これに対し,検察官が控訴し,第1審判決には不法に公訴を棄却した誤りがある旨主張した。控訴審の名古屋高裁は,被告人に訴訟能力の回復の見込みがないとした第1審判決の判断に誤りはないとしつつ,検察官が公訴を取り消さないのに裁判所が公判手続を打ち切ることは基本的に認められておらず,検察官が公訴を取り消さないことが明らかに不合理であると認められるような極限的な場合に限り裁判所による打切りが可能である旨判示した上で,本件はそのような場合には当たらないとし,第1審判決が刑訴法338条4号の解釈適用を誤って不法に公訴を棄却したとして第1審判決を破棄し,事件を第1審に差し戻す判決をした。
これに対し,弁護人が上告した。
3 上告審では,弁護人は,憲法違反,判例違反を主張したほか,刑訴法338条4号の解釈適用を誤った違法がある旨主張した。検察官は,被告人の訴訟能力の回復可能性を否定した原判決の判断を批判しながら,原判決は結論において正当である旨主張していた。
本判決は,上告趣意のうち,判例違反をいう点は前提を欠き,その余は,憲法違反をいう点を含め,実質は単なる法令違反の主張であって,適法な上告理由に当たらないとした上で,職権で,要旨次のとおり判示し,第1審判決を破棄した原判決には刑訴法338条4号の解釈適用を誤った違法があるなどとして原判決を破棄し,同号を準用して本件公訴を棄却した第1審判決は正当であり,検察官の控訴も理由がないとして,検察官の控訴を棄却した。
4 本件において,被告人が起訴されてから第1審の公訴棄却の判決に至るまでの審理経過等については,第1審判決が詳細に説示している。その概要は本判決第2の1(1)のとおりである。
5 刑訴法314条1項は,被告人が「心神喪失の状態」すなわち訴訟能力を欠く状態にあるときは,原則として,「その状態の続いている間公判手続を停止しなければならない」と規定している。そして,被告人に訴訟能力の回復の見込みがない場合に,検察官が同法257条により公訴を取り消せば,裁判所は,同法339条1項3号により,公訴棄却の決定をもって手続を打ち切らなければならない。しかし,刑訴法は,被告人に訴訟能力がないために公判手続が停止された後,その回復の見込みがない場合で,検察官が公訴を取り消さないとき,裁判所がいかなる措置をとることができるかについて,明文の規定を設けていない。そこで,このような場合における裁判所による訴訟手続の打切りの可否等が問題となる。
6 この問題について判示した最高裁判例はない。ただし,最三決平成7年2月28日刑集49巻2号481頁,判タ885号160頁(平成7年判例)において,被告人の訴訟能力に疑いがある場合には,審理を尽くし,訴訟能力がないと認めるときは,原則として公判手続を停止すべきであるとする法廷意見に加え,公判手続停止後も訴訟能力の回復の見込みがない場合に裁判所自らによる手続の最終的打切りの余地を肯定する趣旨の千種秀夫裁判官補足意見が付されていた。なお,千種裁判官補足意見は,手続の打切りのための裁判の形式や理論的根拠には言及していない。
7 学説では,この問題について,平成7年判例と前後して,様々な見解がみられるようになった。大きく,①裁判所による訴訟手続の打切りを肯定する積極説と②これを否定する消極説に分かれ,①積極説の中でも,裁判の形式としてⅠ公訴棄却説とⅡ免訴説があり,その理論的根拠は多岐に分かれている。ただし,この問題を明示的に論じている学説の中では,打切りを認める明文規定の不存在や解釈上の難点等を指摘して②消極説に立つ見解があるものの(土本武司「訴訟能力の欠如と公訴棄却」捜査研究757号10頁),①積極説が多数である。①積極説の中では,Ⅱ免訴も可能な場合があるとする免訴説(刑訴法337条準用により免訴も認める説として渡辺修「聴覚障害者と刑事裁判の限界」判タ897号38頁,最大判昭和47年12月20日刑集26巻10号631頁,判タ287号165頁[高田事件大法廷判決]に則り免訴も可能とする説として佐々木史朗「訴訟能力の欠如と公判手続の停止」平成4年度重要判例解説202頁)もあるが,Ⅰ公訴棄却説が多数である。Ⅰ公訴棄却説の中でも,裁判所において代替的に公訴を取り消したものと擬制して刑訴法339条1項3号準用により決定で公訴を棄却すべきとする説(指宿信「聴覚言語障害を理由とした訴訟無能力と手続打切り-米・加の裁判例を参考にして-」判タ977号15頁)や被告人死亡の場合に準じて同法339条1項4号準用により決定で公訴を棄却すべきとする説(鈴木茂嗣『刑事訴訟法〔改訂版〕』44頁)よりも,同法338条4号に準じて判決で公訴を棄却すべきとする説(松尾浩也『刑事訴訟法(下)〔新版補正版〕』166頁,高田昭正「訴訟能力を欠く被告人と刑事手続」ジュリ902号39頁,青木紀博「判例評論」判時1561号230頁,長沼範良「訴訟能力に疑いがある場合と公判手続の停止」ジュリ1108号114頁,田口守一「公判手続の停止と打切り」研修597号3頁等)が多い状況にある。なお,一般論としては,手続を打ち切るべき事情や理由は事案によって異なり,その手段を択一的に考える必要はないであろう。
8 本判決は,この問題について,訴訟手続の主宰者である裁判所において,被告人が心神喪失の状態にあると認めて公判手続を停止する旨決定した後,被告人に訴訟能力の回復の見込みがなく公判手続の再開の可能性がないと判断するに至った場合,「事案の真相を解明して刑罰法令を適正迅速に適用実現するという刑訴法の目的(同法1条)に照らし,形式的に訴訟が係属しているにすぎない状態のまま公判手続の停止を続けることは同法の予定するところではなく,裁判所は,検察官が公訴を取り消すかどうかに関わりなく,訴訟手続を打ち切る裁判をすることができるものと解される。刑訴法はこうした場合における打切りの裁判の形式について規定を置いていないが,訴訟能力が後発的に失われてその回復可能性の判断が問題となっている場合であることに鑑み,判決による公訴棄却につき規定する同法338条4号と同様に,口頭弁論を経た判決によるのが相当である。」と説示した上で,裁判所が刑訴法338条4号に準じて判決で公訴を棄却することができる旨判示し,裁判所による訴訟手続の打切りを肯定し,その理論的根拠と裁判の形式を明確にした。
このような場合における訴訟手続の打切りについて,明文の規定はないものの,刑事訴訟の趣旨等に照らすと,刑訴法314条1項による公判手続の停止は,あくまでも公判手続の再開を前提とした手続であり,裁判所において被告人に訴訟能力の回復の見込みがなく公判手続の再開の可能性がないと判断するに至った場合には,その判断の内容に照らし,当然に同法338条4号に準じて形式裁判である公訴棄却の判決によって訴訟手続を打ち切ることができる,と判断したものと推察される。
なお,第1審判決が,公訴提起後に重要な訴訟条件を欠き,後発的に「公訴提起の手続がその規定に違反したため無効」になったものとして,刑訴法338条4号を準用する旨判示しているのに対し,本判決はこのような点に言及していない。本判決は,その判文からもうかがわれるように,必ずしも訴訟条件論の一環として刑訴法338条4号の類推適用というアプローチにより結論を導いているのではなく,刑事訴訟の趣旨等に照らし訴訟係属状態を維持すべきではないという観点から形式裁判である公訴棄却により訴訟手続を打ち切り,判断の内容等に照らし判決でこれを行うことを導き,刑訴法338条4号に準じて処理するというアプローチを採っているものと解されることに留意する必要がある。
9 本判決には,池上政幸裁判官により,補足意見が付されている。
まず,訴訟能力の回復可能性が問題となる事案における訴訟手続に関して,公判手続停止決定に至るまでの段階や公判手続停止決定後の段階において,訴訟能力の有無やその回復可能性について慎重に審理し,また,訴訟能力が回復したときは速やかに公判手続を再開すべきことなどが述べられている。ここで指摘されている点は,この種の事案における裁判所の訴訟運営に当たって参考になるものと思われる。このような補足意見が付された背景には,平成7年判例後それほど間を置かずに起訴された本件において,被告人の訴訟能力をめぐる第1審裁判所の訴訟運営(特に比較的早い段階におけるもの)に課題があったことがうかがわれる(この問題を指摘するものとして,三好幹夫「判批」刑ジャ54号163頁。)。
次に,裁判の在り方との関連では,訴訟手続打切りの論拠につき,刑訴法339条1項4号参照として「被告人が実質的に欠けて基本的な訴訟構造が成り立たなくなったこと」が指摘されるなど,法廷意見より実定法解釈に引きつけた具体的な意見が述べられている。
10 本判決は,被告人に訴訟能力がないために公判手続が停止された後訴訟能力の回復の見込みがないと判断される場合と公訴棄却の可否という問題に関し,平成7年判例における千種裁判官補足意見をもって裁判所による手続打切りの余地を肯定する方向性が示唆されていたところ,刑訴法338条4号に準じて判決で公訴を棄却することができる旨を最高裁として初めて明確にした点に,判例として重要な価値があると考える。今後,同様の事案において,裁判所,検察官,弁護人による意思疎通を円滑にし,検察官による公訴の取消しの活用を含め,適切な運用がなされることが期待される。
なお,本判決後,第1審段階において,被告人の訴訟能力の回復可能性を踏まえ,検察官による公訴取消しを受けた裁判所による公訴棄却決定や,裁判所による公訴棄却判決の実例が現れているようである。さらに,検察官による公訴取消しが認められない控訴審段階(刑訴法257条参照)において,裁判所による公訴棄却判決の裁判例も現れている(刑訴法338条4号に準じて判決で公訴を棄却すべきとしつつ,控訴審における処理としては,同法397条1項,378条2号により1審判決を破棄した上,同法400条ただし書により自判するというものもあるようであるが,より簡明に同法404条,338条4号準用により公訴棄却判決をするものとして,札幌高判平成29年3月14日札幌高検速報185号,東京高判平成29年12月8日東京高検速報3627号がある。)。控訴審段階以降における訴訟能力の有無の判断や訴訟手続の打切りの在り方は,今後の課題である。」

