最高裁昭和56年4月25日刑集35巻3号116頁・刑訴百選【11版】44事件(覚醒剤自己使用罪の場合の訴因の特定・明示)
1 はじめに
覚せい剤自己使用罪における訴因の特定が問題となりました。
2 前提となる知識
⑴条文
刑訴法256条3項
公訴事実は、訴因を明示してこれを記載しなければならない。訴因を明示するには、できる限り日時、場所及び方法を以て罪となるべき事実を特定してこれをしなければならない。
⑵判例
白山丸事件(最高裁昭和37年11月28日刑集16巻11号1633頁・刑訴百選【11版】A15事件)
「本件起訴状記載の公訴事実は、「被告人は、昭和27年4月頃より同33年6月下旬までの間に、有効な旅券に出国の証印を受けないで、本邦より本邦外の地域たる中国に出国したものである」というにあって、犯罪の日時を表示するに六年余の期間内とし、場所を単に本邦よりとし、その方法につき具体的な表示をしていないことは、所論のとおりである。
しかし、刑訴256条3項において、公訴事実は訴因を明示してこれを記載しなければならない、訴因を明示するには、できる限り日時、場所及び方法を以て罪となるべき事実を特定してこれをしなければならないと規定する所以のものは、裁判所に対し審判の対象を限定するとともに、被告人に対し防禦の範囲を示すことを目的とするものと解されるところ、犯罪の日時、場所及び方法は、これら事項が、犯罪を構成する要素になっている場合を除き、本来は、罪となるべき事実そのものではなく、ただ訴因を特定する一手段として、できる限り具体的に表示すべきことを要請されているのであるから、犯罪の種類、性質等の如何により、これを詳らかにすることができない特殊事情がある場合には、前記法の目的を害さないかぎりの幅のある表示をしても、その一事のみを以て、罪となるべき事実を特定しない違法があるということはできない。
これを本件についてみるのに、検察官は、本件第一審第一回公判においての冒頭陳述において、証拠により証明すべき事実として、(一)昭和33年7月8日被告人は中国から白山丸に乗船し、同月13日本邦に帰国した事実、(二)同27年4月頃まで被告人は水俣市に居住していたが、その後所在が分らなくなった事実及び(三)被告人は出国の証印を受けていなかった事実を挙げており、これによれば検察官は、被告人が昭和27年4月頃までは本邦に在住していたが、その後所在不明となってから、日時は詳らかでないが中国に向けて不法に出国し、引き続いて本邦外にあり、同33年7月8日白山丸に乗船して帰国したものであるとして、右不法出国の事実を起訴したものとみるべきである。そして、本件密出国のように、本邦をひそかに出国してわが国と未だ国交を回復せず、外交関係を維持していない国に赴いた場合は、その出国の具体的顛末ついてこれを確認することが極めて困難であって、まさに上述の特殊事情のある場合に当るものというべく、たとえその出国の日時、場所及び方法を詳しく具体的に表示しなくても、起訴状及び右第一審第一回公判の冒頭陳述によって本件公訴が裁判所に対し審判を求めようとする対象は、おのずから明らかであり、被告人の防禦の範囲もおのずから限定されているというべきであるから、被告人の防禦に実質的の障碍を与えるおそれはない。それゆえ、所論刑訴256条3項違反の主張は、採ることを得ない。」
3 問題の所在(刑訴百選【11版】44事件)
「覚醒剤の自己使用は短期間に繰り返される蓋然性の高い犯罪であるが覚醒剤の使用は摂取行為1回ごとに1罪が成立し.それら複数の使用は併合罪の関係に立つと解するのが実務上支配的な見解である(学説上は継続犯と解したり包括一罪と解したりする説がある)。日時に幅のある記載ではその期間内に2回以上覚醒剤を使用した可能性が否定できず,そのどれが起訴されたのか特定ができているといえるかが特に問題となる。」(解説2⑶)
4 判旨
「弁護人平川実の上告趣意は、単なる法令違反、事実誤認の主張であって、刑訴法405条の上告理由にあたらない。
なお、職権により判断すると、「被告人は、法定の除外事由がないのに、昭和54年9月26日ころから同年10月3日までの間、広島県高田郡a町内及びその周辺において、覚せい剤であるフエニルメチルアミノプロパン塩類を含有するもの若干量を自己の身体に注射又は服用して施用し、もって覚せい剤を使用したものである。」との本件公訴事実の記載は、日時、場所の表示にある程度の幅があり、かつ、使用量、使用方法の表示にも明確を欠くところがあるとしても、検察官において起訴当時の証拠に基づきできる限り特定したものである以上、覚せい剤使用罪の訴因の特定に欠けるところはないというべきである。
よって、同法414条、386条1項3号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。」
5 解説
⑴判例タイムズ441号110頁
「覚せい剤の自己使用の事案においては、行為の相手方や目撃者等が存在しないのが通常であるため、尿から覚せい剤が検出されて被告人が自己の身体に覚せい剤を使用したことは明白となっても、被告人が自白しない限り、具体的な使用の日時、場所、方法等は明らかにならないことが多い。
そこで、被告人が否認もしくは黙秘した場合には、本件のように、覚せい剤の体内残留期間を根拠に採尿の時から遡って数日ないし1週間程度の期間をもって犯行の日時を表示し、犯行場所については被告人の行動状況等から推認した本件程度の幅のある表示をし、使用量、使用方法についても特に確定的な表示をしないという公訴事実の記載方法が一般化しているが、このような公訴事実の記載は、訴因の特定という点からみて問題を含んでいることは否定できない。
覚せい剤の自己使用は短期間に繰り返される蓋然性の高い犯罪であるから、数日ないし1週間程度の期間内には2回以上覚せい剤を使用した可能性が否定できないのではないか、という点が特に問題となる。
これまで公刊物に掲載された判例としては、名古屋高判昭54・2・14(本誌383号156頁)、東京高判昭54・10・24、同昭55・2・28(判時973号132頁)があるが、いずれも、いわゆる白山丸事件に関する最大判昭37・11・28(刑集16巻11号1633頁、本誌140号69頁)に示された法理を援用し、訴因の特定を欠くものではないとしている。
すなわち、右白山丸判決は、「刑訴法256条3項において、公訴事実は訴因を明示してこれを記載しなければならない、訴因を明示するには、できる限り日時、場所及び方法を以て罪となるべき事実を特定してこれをしなければならないと規定する所以のものは、裁判所に対し審判の対象を限定するとともに、被告人に対し防禦の範囲を示すことを目的とするものと解されるところ、犯罪の日時、場所及び方法は、これら事項が、犯罪を構成する要素になっている場合を除き、本来は、罪となるべき事実そのものではなく、ただ訴因を特定する一手段として、できる限り具体的に表示すべきことを要請されているのであるから、犯罪の種類、性質等の如何により、これらを詳らかにすることができない特殊事情がある場合には、前記法の目的を害さない限りの幅のある表示をしても、その一事のみを以て、罪となるべき事実を特定しない違法があるということはできない。」と判示しているが、被告人が否認している覚せい剤自己使用の場合も、右の特殊事情がある場合にあたるとしているのである。
本件一、二審判決も、同様に、いわば白山丸判決をなぞった論法で、訴因の特定ありとしている。
この種事案において、日時、場所、方法の具体的、詳細な特定ができないことが、やむをえない事情に基づくものであること、覚せい剤を使用した事実は明白であるのに訴因不特定として公訴を棄却し処罰を免れさせることが、実質的に不当であることは、何人も承認せざるをえないであろう。
ただ、白山丸事件のような密出国の場合は、特定の帰国に対応する出国という形での特定が可能であるのに対し、覚せい剤使用罪の場合には、尿の鑑定結果と特定の使用行為とは必ずしも一対一で対応しないので、白山丸事件と同一に論じられない面もある。
既判力、二重起訴等の関係でも問題点を含んでおり、今後、種々の点にわたって理論的に研究してみる必要があろう。
いずれにせよ、本決定は、最高裁の初めての判断であり、近時、覚せい剤の自己使用の否認、黙秘の事例が増加し、訴因の特定が争われるケースも少なくないようであるので、実務上重要な意義を有すると思われる。」
⑵刑訴百選【11版】44事件
「覚醒剤自己使用については,前述の事案・証拠等の特質から,実務上,検察官は1回の尿の鑑定結果からは1回の使用の処罰しか求めず,裁判所もそれを前提とした判断……をするという運用で固まっているといえる」(解説2⑸)
6 関連する判例(最高裁昭和63年10月25日刑集42巻8号1100頁)
「弁護人梅沢錦治の上告趣意のうち、判例違反をいう点は、所論引用の判例は事案を異にし本件に適切でなく、その余は、憲法三一条、三九条違反をいう点を含め、その実質はすべて単なる法令違反の主張であって、いずれも刑訴法405条の上告理由に当たらない。
なお、所論にかんがみ職権により判断すると、本件昭和60年11月8日付起訴状記載の訴因は、「被告人は、『A』ことBと共謀の上、法定の除外事由がないのに、昭和60年10月26日午後5時30分ころ、栃木県芳賀郡a町b番地の被告人方において、右Bをして自己の左腕部に覚せい剤であるフエニルメチルアミノプロパン約〇・〇四グラムを含有する水溶液約〇・二五ミリリットルを注射させ、もって、覚せい剤を使用した」というものであり、また、検察官が第一審裁判所において変更を請求した訴因は、「被告人は、法定の除外事由がないのに、昭和60年10月26日午後6時30分ころ、茨城県下館市a番地のb所在スナック『C』店舗内において、覚せい剤であるフエニルメチルアミノプロパン約0.04グラムを含有する水溶液約0.25ミリリットルを自己の左腕部に注射し、もって、覚せい剤を使用した」というものである。そして、記録によれば、検察官は、昭和60年10月28日に任意提出された被告人の尿中から覚せい剤が検出されたことと捜査段階での被告人の供述に基づき、前記起訴状記載の訴因のとおりに覚せい剤の使用日時、場所、方法等を特定して本件公訴を提起したが、その後被告人がその使用時間、場所、方法に関する供述を変更し、これが信用できると考えたことから、新供述にそって訴因の変更を請求するに至ったというのである。そうすると、両訴因は、その間に覚せい剤の使用時間、場所、方法において多少の差異があるものの、いずれも被告人の尿中から検出された同一覚せい剤の使用行為に関するものであって、事実上の共通性があり、両立しない関係にあると認められるから、基本的事実関係において同一であるということができる。したがって、右両訴因間に公訴事実の同一性を認めた原判断は正当である。
よって、刑訴法414条、386条1項3号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。」

