東京高裁平成14年9月4日判例時報1808号144頁・刑訴百選【11版】71事件(①宿泊を伴う取調べ及び②違法捜査の派生証拠等)
本裁判例は、①捜査段階の九泊一〇日にわたる宿泊を伴う取調べが、任意捜査として許容される限界を越えた違法なものであるとされた事例、②違法な取調べ中に獲得された上申書及びこれに引き続く逮捕・勾留中に獲得された検察官調書の証拠能力が否定された事例、③証拠能力が否定された自白を除いても、なお情況証拠から被告人が犯人であると断定できるとされた事例として判例秘書に要旨が指摘されています。本記事では①宿泊を伴う取調べ、②自白からの派生証拠について検討します。
本裁判例は、自白の証拠能力を否定し、原判決を破棄した上で、犯人とX の同一性を認めるなどして、自判により被告人を有罪としました。
裁判例は長いため、関連するところについて、一部抜粋します。
「三 違法収集証拠の論旨について
所論は、要するに、原判決は、被告人の上申書(自白・乙三)、検察官調書(自白・乙四、六)について、まず、自白法則を問題とした上で任意性を肯定し、次いで、違法収集証拠排除の一般原則を検討し、捜査に違法があったとしながら違法は重大なものではないとしてこの排除法則を適用せず、結局、上記証拠(乙三、四、六)の証拠能力を認めたけれども、本件逮捕前の捜査は、九泊一〇日もの宿泊を伴う取調べをした実質的な強制捜査であって、違法の程度は重大であり、任意性もないから、上記上申書(乙三)はもとより、逮捕状執行後に作成された検察官調書(乙四、六)の証拠能力も否定されるべきであるから、これを肯定して証拠として採用した原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反があるなどと主張する。
(1)本件捜査の経緯等
関係証拠によれば、被告人が本件で任意同行されたのち、自白するまでの捜査の経緯については、以下のとおり認定できる。この点について原判決が「任意同行の経緯」「任意取調べから逮捕に至るまでの経緯」「宿泊・監視等の措置をとった状況」(p92ないしp96)の項目下で認定するところ自体は正当であって、これを是認できる。
(1)被告人は、フィリピン国籍を有する外国人であり、日本国籍を有するA(ただし、本件当時の氏名)と平成三年に婚姻し、平成五年に長女を出産していたものの、本件被害者であるCと親しくなって本件当時はAと別居し、千葉県松戸市内に住む被害者方に同棲していた。被害者は妻D子と結婚していたけれども、当時、同女は被害者方から出て別居していた。
(2)平成九年一一月一〇日午前八時三〇分ころ、被告人が被害者方近くに位置する乙山病院(たまたまAに預けていた長女の喘息が悪化して同児を入院させていた病院)に駆け込んで被害者の救助を求めたため、病院関係者らが被告人の案内で被害者方に赴いたところ、ベッドで血まみれになって倒れ一見して死亡していると分かる被害者を発見したことが端緒になって、本件殺人事件が発覚し、捜査が開始された。現場の室内の状況や死体損傷状況等にかんがみ、犯人は被害者に何らかの関係を有する周辺者の可能性が高いと判断した警察官らは、現場近くの自動車内で被告人から簡単に事情を聴取した後、同日午前九時五〇分ころ、重要参考人として更に詳しく事情聴取(取調べ)するため被告人を松戸警察署に任意同行した。その際、被告人は被害者のいる救急車に乗りたいなどと述べたが、邪魔になるだけである旨説明され、捜査に協力する気持ちもあって、任意同行に応じた。
(3) 警察官は、一〇日以降一七日まで被告人を参考人として警察署で取り調べた。被告人は、Aが犯人であるかのような供述をしたこともあって、一一日には被告人及びAに対して書面の承諾を得てポリグラフ検査が実施された。Aに対しても、一〇日以降在宅のまま連日参考人としての取調べがなされた。一七日夕刻、被告人の着衣に被害者と同じ型の血痕が付着している内容の鑑定結果がもたらされたため、被告人に対する嫌疑が濃厚となり、翌一八日からは、警察官は、被告人を参考人から被疑者に切り替えて取り調べ始めた。被告人は、翌一九日午後になって、本件犯行を認めて上申書(乙三)を作成した。被告人は、同日午後九時三二分通常逮捕され、翌二〇日検察官に送致され、同月二一日勾留され、勾留延長を経て同年一二月一〇日本件殺人罪で起訴された。被告人は、検察官送致になった一一月二〇日、検察官の弁解録取に対し自白して自白調書(乙四)が作成されたが、同日のうちに否認に転じて否認調書(乙五)が作成され、翌日の裁判官の勾留質問でも否認したものの(乙二)、同月二四日に再び自白し(乙六)、その後は再び否認に転じている。
(4)警察は、一一月一〇日の任意同行以降、警察署において連日朝から夜まで被告人を取り調べたが、夜間は被告人を帰宅させず、最初の二日は被告人の長女が入院していた病院に、同女の退院に伴いこれに次ぐ二日間は警察が手配した警察官宿舎の婦警用の空室に、その後の五日間は松戸市内のビジネスホテルに被告人をそれぞれ宿泊させた。被告人からは宿泊斡旋要望の書面などは出されていない。
(2)宿泊を伴う取調べの必要性(当初の二泊)について
確かに、被告人は殺人という重大事件の重要参考人であり、捜査当局としては、被害者の死体発見の状況、被害者や被告人の被害前の行動状況、被害者・被告人各夫婦をめぐる紛争の内容等の多くの事項について事案の真相を解明するために、被告人から事情を緊急、詳細に聴取する必要性が高かった事情が認められ、その事情聴取に複数日を要する状況にあり、被告人を任意同行した翌日以降も(連日かどうかは別としても)在宅のまま事情聴取する必要性があったと認められた。ところが、本件は、被告人の同棲相手がその同棲住居で殺害された事案であって、現場の保全等の観点からは、被告人を犯行場所である住居に帰すわけには行かないこと、そうかといって夫のA方については、被告人は同人と別居中で、同人を本件の犯人であるかのように述べており、現に同人も重要参考人として在宅で事情聴取を受けていたから、同人方に帰すのも相当ではなかったこと、被告人がホテル等に宿泊するだけの金銭も持っていなかったことからすると、最初の二日間の宿泊については、やむを得ない措置であり、宿泊先を探すための時間も必要なことから、長女のいた病院の病室にとりあえず同宿させたのは相当であったと認められる。
(3)宿泊先の有無等(その後の宿泊)について
関係証拠によれば、当時、被告人には互いに行き来していたI子及びJ子というフィリピン人の友人がおり、同人らは離婚や子供の問題で従前から被告人の相談に乗っていたことが明らかである(両名の原審各供述)。したがって、本件当時被告人が同人ら方に宿泊できる可能性は十分にあったものと認められる。
警察官である原審証人大川通尚は、「被告人は宿泊するところがない、頼る相手もいないということなので、警察の官舎でいいかと確認を取った」「一七日までに被告人の友人等に連絡を取ったことはない」「被告人に友達のところに行って泊まるというような話もなく……仕方なく泊まってもらった」などと供述し(原審第一二、一三回公判三四六、三四七、三七四、三八九丁)、警察官である原審証人山村幹雄は、被告人の希望する友人に預けるという措置については「話を聞いていく中で、泊まるところについて、自分からこうしたい……ということは一切なかった」旨(原審第一四回公判四〇九丁)「今夜泊まるところは警察で用意するからいいかと尋ねた」旨(四〇〇ないし四〇三、四二二丁)供述し、同じく警察官である原審証人赤沼力も、「一八口の調べの際、被告人に泊まるところがあるかと聞いたら、ないと答えた、泊まりたい場所があるのに言い出せないでいるふうなことはなかった」旨供述する(原審第一五回公判四四〇、四四一丁)ところ、捜査官が被告人に宿泊できる友人宅があるかどうかを尋ねれば、被告人は当然前記I子、J子らの名前を出したと思われるし、また、I子は、本件をニュースで知って心配してすぐ警察に連絡したところ、二、三回来た警察官から被告人が病院にいることを聞いたというのであり(I子の原審供述、一八五丁)、また、J子は、事件後まもなく警察官が話を聞きに家に来たというのであり(J子の原審供述)、上記両名の平成九年一一月三〇日付けの検察官調書(甲五七、五八)も存在していること(警察官が接触したのは当然もっと前であると推認できる)、J子は、検察官調書抄本(甲五八)において、「警察官が、私とK子さんが友達だったことを誰かに聞いたものと思いますが、確か一一月一二、三日ころ、突然私の家にK子さんのことを調べに来ました」と述べていること、被告人も、Cの家に帰りたいと警察官に申し出たが、断られた(原審第九回公判・二六六丁、当審第一三回公判)、それで友人のI子のところに泊まりたいと言い出したら、それも断られた(当審第一三回公判)、また、警察の官舎に泊まることについて承諾を求められたことはなく、指示に従うしかなかった(原審第一七回公判、五八四丁)などと供述していることも併せ考えれば、捜査官らは、一一月一二、三日ころには、既に被告人が宿泊することができる可能性のある親しい友人を有していることを把握したものと認められる。そうすると、被告人が泊まる友人もいないというので、仕方なく宿泊してもらった、あるいは、被告人に泊まるところがあるか聞いたとの前記大川、赤沼供述部分は、到底そのまま信用しがたく、捜査官らは、被告人に宿泊できる可能性のある友人がいるのを知りながら、その友人に関して真摯な確認、検討もしないまま、被告人に対し警察の方で用意した場所に宿泊するよう指示し、被告人がこれにやむなく従ったものと認められる。被告人が自ら望んで警察宿舎やビジネスホテルに宿泊したとは到底認められない。また、前記被告人の当審供述にかんがみ被告人の方から特定の友人の名前を挙げて宿泊の希望を申し出たことがなかったことも必ずしも断じがたい。
なお、被告人は、警察官の手配した警察官宿舎やビジネスホテルに宿泊することについて明確に反対の意向を示していないと認められるけれども、被告人が帰宅したい気持ちを有していたことは、幼い長女が病気上がりの状態にあり、Aも事情聴取を受けていたから、長女のことが心配であったこと、当初着替えもできなかったこと、三日間風呂に入れなかったことなどから推認できるのであって、被告人が外国人の女性であるという比較的弱い立場にあったことなどから、気丈に反対の自己主張ができなかったと見るべきである。
(4)監視・取調時間
宿泊先では、最初の二日間の病院では、病室出入口付近に警察官複数を配置し、婦警用の部屋では、仕切り戸の外された続きの部屋に婦人警察官複数を配置して同宿させ、ビジネスホテルでは、室外のロビーのようなところに婦人警察官複数を配置して、いずれも被告人の動静を監視した。被告人は、警察署内ではもちろん、宿泊先の就寝中も含めて常時監視されており、トイレに行くにも監視者が同行し、カミソリの使用が許されてもすぐ取り上げられ、電話は掛けることも許されず(被告人は、警察宿舎に電話が設置されていたけれども、使用を許されなかった旨供述〈原審第一七回公判五七一丁〉しており、これを否定するに足りる証拠はない)、一〇日間外部から遮断された。捜査官は、被告人は被害者の話になると泣くなど、動揺しており、自殺のおそれがあったので、動静を確認していた旨説明している。ビジネスホテルの宿泊費用は警察が負担した。朝晩の宿泊場所と警察署との往復は、警察の車で送迎した。
警察官作成の「準抗告申立に対する事実確認報告書」(弁四・抄本。原本は記録に編綴)添付の「任意同行・動静確認・事情聴取状況表」によると、一一日から一九日までの間の宿泊場所を出発した時刻は、早くて午前八時零分、遅くて午前九時二〇分で、八時台が七回であり、一〇日から一八日までの間の宿泊場所に帰着した時刻については、早くて午後九時二〇分、遅くて午後一一時四〇分で、九時台が二回、一〇時台が二回、一一時台が五回ある。警察署にいるときは、昼食時、夕食時の休憩を除いてほとんど取調べに充てられ、連日午前九時過ぎないし一〇時過ぎころから午後八時三〇分ころないし一一時過ぎころまで長時間の取調べがあった。食事は取調室で与えられ、費用は警察が負担した。
(5)本件取調手続の違法性及びその程度
以上のように、本件においては、被告人は、参考人として警察署に任意同行されて以来、警察の影響下から一度も解放されることなく連続して九泊もの宿泊を余儀なくされた上、一〇日間にもわたり警察官から厳重に監視され、ほぼ外界と隔絶された状態で一日の休みもなく連日長時間の取調べに応じざるを得ない状況に置かれたのであって、事実上の身柄拘束に近い状況にあったこと、そのため被告人は、心身に多大の苦痛を受けたこと、被告人は、上申書を書いた理由について、ずっと取調べを受けていて精神的に参ってしまった、朝から夜まで取調べが続き、殺したんだろうと言い続けられ、耐えられなかった、自分の家に帰してもらえず、電話などすべて駄目で、これ以上何もできないと思ったなどと供述していること、被告人は、当初は捜査に協力する気持ちもあり、取調べに応じていたものと思われるが、このような長期間の宿泊を伴う取調べは予想外のことであって、被告人には宿泊できる可能性のある友人もいたから、被告人は少なくとも三日目以降の宿泊については自ら望んだものではないこと、また、宿泊場所については、警察は被告人に宿泊できる可能性のある友人がいることを把握したのに、真摯な検討を怠り、警察側の用意した宿泊先を指示した事情があること、厳重な監視については、捜査側は被告人に自殺のおそれがあったと説明するが、仮にそのおそれがあったとしても、任意捜査における取調べにおいて本件の程度まで徹底して自由を制約する必要性があるかは疑問であること等の事情を指摘することができるのであって、他方、本件は殺人という重大事件であり、前記のように重要参考人として被告人から事情を緊急、詳細に聴取する必要性が極めて強く、また、通訳を介しての取調べであったため時間を要したこと、被告人は自宅に帰れない事情があったことなどの点を考慮するとしても、本件の捜査方法は社会通念に照らしてあまりにも行き過ぎであり、任意捜査の方法としてやむを得なかったものとはいえず、任意捜査として許容される限界を越えた違法なものであるというべきである。
(6)証拠能力について
本件上申書(自白・乙三)は、任意取調べの最後の日に被告人が作成した書面であって、上記事情に照らせばこの任意取調べの結果得られたものである。また、検察官調書(自白・乙四、六)は、任意取調べに引き続く逮捕、勾留中に獲得されたものであるが、捜査官は被告人の着衣に被害者と同型の血痕付着が判明しても直ちには被告人を逮捕せず、二日後に上記被告人の上申書(自白)を得て通常逮捕したものであり、逮捕状請求に際してはこの上申書も疎明資料として添付されていること(逮捕状請求書中の「被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」欄にこの上申書の記載がある。一七冊六〇二丁)などからすると、本件上申書が有力な証拠となって逮捕、勾留の手続に移行したと認められ、本件検察官調書(乙四、六)はその過程で得られた証拠である。また、被告人にとっては、直前まで上記のような事実上の身柄拘束に近い状態で違法な任意取調べを受けており、これに引き続き逮捕、勾留中の取調べに進んだのであるから、この間に明確な遮断の措置がない以上、本件検察官調書作成時は未だ被告人が違法な任意取調べの影響下にあったことも否定できない。そうすると、本件自白(乙三、四、六)は、違法な捜査手続により獲得された証拠、あるいは、これに由来する証拠ということになる。
そして、自白を内容とする供述証拠についても、証拠物の場合と同様、違法収集証拠排除法則を採用できない理由はないから、手続の違法が重大であり、これを証拠とすることが違法捜査抑制の見地から相当でない場合には、証拠能力を否定すべきであると考える。
また、本件においては、憲法三八条二項、刑訴法三一九条一項にいう自白法則の適用の問題(任意性の判断)もあるが、本件のように手続過程の違法が問題とされる場合には、強制、拷問の有無等の取調方法自体における違法の有無、程度等を個別、具体的に判断(相当な困難を伴う)するのに先行して、違法収集証拠排除法則の適用の可否を検討し、違法の有無・程度、排除の是非を考える方が、判断基準として明確で妥当であると思われる。
本件自白(乙三、四、六)は違法な捜査手続により獲得された証拠であるところ、本件がいかに殺人という重大事件であって被告人から詳細に事情聴取(取調べ)する必要性が高かったにしても、上記指摘の事情からすれば、事実上の身柄拘束にも近い九泊の宿泊を伴った連続一〇日間の取調べは明らかに行き過ぎであって、違法は重大であり、違法捜査抑制の見地からしても証拠能力を付与するのは相当ではない。本件証拠の証拠能力は否定されるべきであり、収集手続に違法を認めながら重大でないとして証拠能力を認めた原判決は、証拠能力の判断を誤ったものであるといわざるを得ない。したがって、原審には訴訟手続の法令違反があり、原判決がこの証拠に依拠して犯行に至る経緯・動機、犯行態様等を認定し、被告人を有罪とした以上(自白を除いても有罪を認定できるとの記載もない)、この誤りが判決に影響を及ぼすことは明らかである。論旨は理由がある。」
宿泊を伴う取調べについては先例があり、最高裁昭和59年2月29日刑集38巻3号479頁・高輪グリーンマンション事件・刑訴百選【11版】6事件が判断しています。一部を引用します。
https://www.courts.go.jp/hanrei/50262/detail2/index.html
「1 第一審判決及び原判決の認定するところに記録を併せると、被告人に対する本件取調べの経過及び状況は、おおむね次のとおりである。
(1) 昭和五二年五月一八日、東京都港区ab丁目c番d号eマンシヨンf号室の本件被害者A方において、被害者が何者かによつて殺害されているのが被害者の勤め先の者によつて発見され、同人の通報により殺人事件として直ちに捜査が開始され、警視庁捜査一課強行犯二係を中心とする捜査本部が所轄の高輪警察署に設置された。犯行現場の状況等から犯人は被害者と面識のある者との見通しのもとに被害者の生前の交友関係を中心に捜査が進められ、かつて被害者と同棲したことのある被告人もその対象となつていたところ、同月二〇日、被告人は自ら高輪警察署に出頭し、本件犯行当時アリバイがある旨の弁明をしたが、裏付捜査の結果右アリバイの主張が虚偽であることが判明し、被告人に対する容疑が強まつたところから、同年六月七日早朝、捜査官四名が東京都大田区gh丁目i番j号所在のB荘(被告人の勤め先の独身寮)の被告人の居室に赴き、本件の有力容疑者として被告人に任意同行を求め、被告人がこれに応じたので、右捜査官らは、被告人を同署の自動車に同乗させて同署に同行した。
(2) 捜査官らは、被告人の承諾のもとに被告人を警視庁に同道した上、同日午前九時半ころから二時間余にわたつてポリグラフ検査を受けさせた後、高輪警察署に連れ戻り、同署四階の三・三平方メートルくらいの広さの調べ室において、一名(巡査部長)が主になり、同室入口付近等に一ないし二名の捜査官を立ち会わせて被告人を取り調べ、右アリバイの点などを追及したところ、同日午後一〇時ころに至つて被告人は本件犯行を認めるに至つた。
(3) そこで、捜査官らは、被告人に本件犯行についての自白を内容とする答申書を作成させ、同日午後一一時すぎには一応の取調べを終えたが、被告人からの申出もあつて、高輪警察署長宛の「私は高輪警察署でAさんをころした事について申し上げましたが、明日、さらにくわしく説明致します。今日は私としても寮に帰るのはいやなのでどこかの旅館に泊めて致だきたいと思います。」と記載した答申書を作成提出させて、同署近くのCの宿泊施設に被告人を宿泊させ、捜査官四、五名も同宿し、うち一名は被告人の室の隣室に泊り込むなどして被告人の挙動を監視した。
(4) 翌六月八日朝、捜査官らは、自動車で被告人を迎えに行き、朝から午後一一時ころに至るまで高輪警察署の前記調べ室で被告人を取り調べ、同夜も被告人が帰宅を望まないということで、捜査官らが手配して自動車で被告人を同署からほど近いホテルDに送り届けて同所に宿泊させ、翌九日以降も同様の取調べをし、同夜及び同月一〇日の夜はEホテルに宿泊させ、右各夜ともホテルの周辺に捜査官が張り込み被告人の動静を監視した。なお、右宿泊代金については、同月七日から九日までの分は警察において支払い、同月一〇日の分のみ被告人に支払わせた。
(5) このようにして、同月一一日まで被告人に対する取調べを続行し、この間、前記二通の答申書のほか、同月八日付で自白を内容とする供述調書及び答申書、同月九日付で心境等を内容とする答申書、同月一〇日付で犯行状況についての自白を内容とする供述調書が作成され、同月一一日には、否認の供述調書(参考人調書)が作成された。
(6) 捜査官らは、被告人から右のような本件犯行についての自白を得たものの、決め手となる証拠が十分でなかつたことなどから、被告人を逮捕することなく、同月一一日午後三時ころ、山梨市から被告人を迎えに来た被告人の実母らと帰郷させたが、その際、右実母から「右の者御署に於て殺人被疑事件につき御取調中のところ今回私に対して身柄引渡下され正に申しうけました」旨記載した高輪警察署長宛の身柄請書を徴した。
(7) 捜査本部ではその後も被告人の自白を裏付けるべき捜査を続け、同年八月二三日に至つて、本件殺人の容疑により前記山梨市の実母方で被告人を逮捕した。被告人は、身柄を拘束された後、当初は新たなアリバイの主張をするなどして本件犯行を否認していたが、同月二六日に犯行を自白して以降捜査段階においては自白を維持し、自白を内容とする司法警察員及び検察官に対する各供述調書が作成され、同年九月一二日、本件につき殺人の罪名で勾留中起訴された。
2 右のような事実関係のもとにおいて、昭和五二年六月七日に被告人を高輪警察署に任意同行して以降同月一一日に至る間の被告人に対する取調べは、刑訴法一九八条に基づき、任意捜査としてなされたものと認められるところ、任意捜査においては、強制手段、すなわち、「個人の意思を抑圧し、身体、住居、財産等に制約を加えて強制的に捜査目的を実現する行為など、特別の根拠規定がなければ許容することが相当でない手段」(最高裁昭和……五一年三月一六日第三小法廷決定・刑集三〇巻二号一八七頁参照)を用いることが許されないということはいうまでもないが、任意捜査の一環としての被疑者に対する取調べは、右のような強制手段によることができないというだけでなく、さらに、事案の性質、被疑者に対する容疑の程度、被疑者の態度等諸般の事情を勘案して、社会通念上相当と認められる方法ないし態様及び限度において、許容されるものと解すべきである。
3 これを本件についてみるに、まず、被告人に対する当初の任意同行については、捜査の進展状況からみて被告人に対する容疑が強まつており、事案の性質、重大性等にもかんがみると、その段階で直接被告人から事情を聴き弁解を徴する必要性があつたことは明らかであり、任意同行の手段・方法等の点において相当性を欠くところがあつたものとは認め難く、また、右任意同行に引き続くその後の被告人に対する取調べ自体については、その際に暴行、脅迫等被告人の供述の任意性に影響を及ぼすべき事跡があつたものとは認め難い。
4 しかし、被告人を四夜にわたり捜査官の手配した宿泊施設に宿泊させた上、前後五日間にわたつて被疑者としての取調べを続行した点については、原判示のように、右の間被告人が単に「警察の庇護ないしはゆるやかな監視のもとに置かれていたものとみることができる」というような状況にあつたにすぎないものといえるか、疑問の余地がある。
すなわち、被告人を右のように宿泊させたことについては、被告人の住居たるB荘は高輪警察署からさほど遠くはなく、深夜であつても帰宅できない特段の事情も見当たらない上、第一日目の夜は、捜査官が同宿し被告人の挙動を直接監視し、第二日目以降も、捜査官らが前記ホテルに同宿こそしなかつたもののその周辺に張り込んで被告人の動静を監視しており、高輪警察署との往復には、警察の自動車が使用され、捜査官が同乗して送り迎えがなされているほか、最初の三晩については警察において宿泊費用を支払つており、しかもこの間午前中から深夜に至るまでの長時間、連日にわたつて本件についての追及、取調べが続けられたものであつて、これらの諸事情に徴すると、被告人は、捜査官の意向にそうように、右のような宿泊を伴う連日にわたる長時間の取調べに応じざるを得ない状況に置かれていたものとみられる一面もあり、その期間も長く、任意取調べの方法として必ずしも妥当なものであつたとはいい難い。
しかしながら、他面、被告人は、右初日の宿泊については前記のような答申書を差し出しており、また、記録上、右の間に被告人が取調べや宿泊を拒否し、調べ室あるいは宿泊施設から退去し帰宅することを申し出たり、そのような行動に出た証跡はなく、捜査官らが、取調べを強行し、被告人の退去、帰宅を拒絶したり制止したというような事実も窺われないのであつて、これらの諸事情を総合すると、右取調べにせよ宿泊にせよ、結局、被告人がその意思によりこれを容認し応じていたものと認められるのである。
5 被告人に対する右のような取調べは、宿泊の点など任意捜査の方法として必ずしも妥当とはいい難いところがあるものの、被告人が任意に応じていたものと認められるばかりでなく、事案の性質上、速やかに被告人から詳細な事情及び弁解を聴取する必要性があつたものと認められることなどの本件における具体的状況を総合すると、結局、社会通念上やむを得なかつたものというべく、任意捜査として許容される限界を越えた違法なものであつたとまでは断じ難いというべきである。
6 したがつて、右任意取調べの過程で作成された被告人の答申書、司法警察員に対する供述調書中の自白については、記録上他に特段の任意性を疑うべき事情も認め難いのであるから、その任意性を肯定し、証拠能力があるものとした第一審判決を是認した原判断は、結論において相当である。」
なお、伝聞証拠についても判断しています。「記録によれば、F警部は、第一審において、ポリグラフ検査の際、被告人に本件被害者の着用していたネグリジエの色等、本件の真犯人でなければ知り得ない事項についての言動があつた旨証言し、第一審判決及びこれを是認した原判決は、右証言を採用して右言動を認定し、これをもつて被告人を本件の真犯人と断定する一つの情況証拠としていることが明らかである。右証言は伝聞ないし再伝聞を内容とするものであるが、右証言の際、被告人及び弁護人らは、その機会がありながら異議の申立てをすることなく、右証人に対する反対尋問をし、証人尋問を終えていることが認められる。
このように、いわゆる伝聞ないし再伝聞証言について、異議の申立てがされることなく当該証人に対する尋問が終了した場合には、直ちに異議の申立てができないなどの特段の事情がない限り、黙示の同意があつたものとしてその証拠能力を認めるのが相当である(最高裁昭和……二八年五月一二日第三小法廷判決・刑集七巻五号一〇二三頁、……二九年五月一一日第三小法廷判決・刑集八巻五号六六四頁、……三三年一〇月二四日第二小法廷判決・刑集一二巻一四号三三六八頁等参照。これらの判決は、伝聞証言の証拠能力を認めるについて、異議の申立てがなかつたことのほか、証人に対し尋ねることはない旨述べられた場合であること等の要件を必要とするかのような判示をしているが、後者の点は当該事案に即して判示されたにすぎず、ことに右のような陳述の点は、その有無によつて、伝聞証言の証拠能力に特段の差異を来すものではないと解される。)。」
宿泊を伴う取調べに関する高輪グリーンマンション事件は、下記の通り意見も付されています。
「裁判官木下忠良、同大橋進の意見は、次のとおりである。
われわれは、多数意見一の(職権判断)の項につき、同項1に判示されている事実関係のもとにおいて、被告人を四夜にわたり捜査官の手配した宿泊施設に宿泊させた上、前後五日間にわたつて被疑者としての取調べを続行した点に関して、第一審判決が、単に右宿泊の「妥当性につき問題となりうる点が存する」とし、原判決が、右の間被告人は「警察の庇護ないしゆるやかな監視のもとに置かれていたものとみることができる」としているのは的確な判断とはいい難いと考えるものであり、多数意見が、被告人に対する右のような取調べも、任意捜査の方法として必ずしも妥当とはいい難いとしながら、結局、社会通念上やむをえなかつたものというべく、任意捜査として許容される限界を越えた違法なものであつたとまでは断じ難いとし、右取調べの過程で作成された被告人の答申書、司法警察員に対する供述調書中の自白につき任意性を肯定し証拠能力があるとした第一審判決を肯認した原判断を是認している点については、同調することができない。その理由は次のとおりである。
まず、多数意見が、任意捜査においては、強制手段を用いることが許されず、また、任意捜査の一環としての被疑者に対する取調べについては、なお、社会通念上相当と認められる方法ないし態様及び限度において許容されるとする点には、異論をはさむものではない。
しかしながら、右のような観点から、本件の任意捜査段階における被告人に対する取調べについてみるに、本件の記録上、被告人が捜査官らによる取調べあるいは捜査官の手配した宿泊施設への宿泊を明示的に拒否した事実は認められず、右宿泊については、むしろ被告人から申し出たものであることを示す答申書すら作成提出していることが認められることは、多数意見の指摘するとおりであるが、これらの点から、右取調べが任意のものであり、宿泊も被告人の自由な意思に基づくものと速断することはできないと考えられる。すなわち、被告人は、任意同行後、先に自ら高輪警察署に出頭して無実を弁明するためにしたアリバイの主張が虚偽のものと決めつけられ、本件の犯人ではないかとの強い疑いをかけられて厳しい追及を受け、場合によつては逮捕されかねない状況に追い込まれていたものと認められる上、多数意見も指摘しているとおり、被告人の住居たるB荘は高輪警察署からさほど遠くはなく、深夜であつても帰宅できない特段の事情も見当たらず、被告人から進んで捜査官に対し宿泊先の斡旋を求めなければならない合理的な事由があつたものとも認め難いのみならず、捜査官が手配したのはいずれも高輪警察署に近い宿泊施設であつて、第一日目は捜査官らが同室したも同然の状態で同宿し被告人の身近かにあつてその挙動を監視し、その後も同宿こそしなかつたもののホテルの周辺等に張り込み被告人の動静を監視していたほか、同警察署との往復には警察の自動車が使用され、捜査官が同乗して送り迎えがなされており、昼夜を問わず捜査官らの監視下に置かれていたばかりでなく、この間午前中から夜間に至るまでの長時間、連日にわたつて本件についての追及、取調べが続けられ、加えて最初の三日間については宿泊代金を警察が負担している(記録によれば、被告人は宿泊代金を負担するだけの所持金を有していたことが窺われる。)のであつて、このような状況のもとにおいては、被告人の自由な意思決定は著しく困難であり、捜査官らの有形無形の圧力が強く影響し、その事実上の強制下に右のような宿泊を伴う連日にわたる長時間の取調べに応じざるを得なかつたものとみるほかはない。捜査官が被告人を実母に引き渡すにあたつて身柄請書なるものを徴しているのも、被告人が右のような状態に置かれていたことを端的に示すものといえよう。
このような取調方法は、いかに被告人に対する容疑事実が重大で、容疑の程度も強く、捜査官としては速やかに被告人から詳細な事情及び弁解を聴取し、事案の真相に迫る必要性があつたとしても、また、これが被告人を実質的に逮捕し身柄を拘束した状態に置いてなされたものとまでは直ちにいい難いとしても、任意捜査としてその手段・方法が著しく不当で、許容限度を越える違法なものというべきであり、この間の被告人の供述については、その任意性に当然に影響があるものとみるべきである。
さらに、われわれは、被告人に対する本件のような取調方法も任意捜査として違法とまではいえないことになると、捜査官が、事実の性質等により、そのような取調方法も一般的に許容されるものと解し、常態化させることを深く危惧するものであり、このような捜査方法を抑止する見地からも、本件任意捜査段階における被告人の供述は、違法な取調べに基づく、任意性に疑いがあるものとして、その証拠能力を否定すべきであり、これが憲法三一条等の精神にそうゆえんのものであると考えるものである。」
宿泊を伴う取調べに関する高輪グリーンマンション事件は、強制処分該当性及び任意捜査の限界について判断した最高裁昭和51年3月16日刑集30巻2号187頁・刑訴百選【11版】1事件を引用して、「任意捜査においては、強制手段、すなわち、「個人の意思を抑圧し、身体、住居、財産等に制約を加えて強制的に捜査目的を実現する行為など、特別の根拠規定がなければ許容することが相当でない手段」(最高裁昭和……51年3月16日第三小法廷決定・刑集30巻2号187頁参照)を用いることが許されないということはいうまでもないが、任意捜査の一環としての被疑者に対する取調べは、右のような強制手段によることができないというだけでなく、さらに、事案の性質、被疑者に対する容疑の程度、被疑者の態度等諸般の事情を勘案して、社会通念上相当と認められる方法ないし態様及び限度において、許容されるものと解すべき」という規範を立て、事案へのあてはめを行い任意捜査の限界を超えないと判断しました。意見は任意捜査の限界を超えるとしつつ、証拠能力は認められるという判断をしています。
本裁判例は、①宿泊を伴う取調べについては違法とし、②違法捜査により取得した自白の証拠能力については肯定しました。
違法捜査により取得した自白の証拠能力の判断基準について、「憲法38条2項、刑訴法319条1項にいう自白法則の適用の問題(任意性の判断)もあるが、本件のように手続過程の違法が問題とされる場合には、強制、拷問の有無等の取調方法自体における違法の有無、程度等を個別、具体的に判断(相当な困難を伴う)するのに先行して、違法収集証拠排除法則の適用の可否を検討し、違法の有無・程度、排除の是非を考える方が、判断基準として明確で妥当である」とし、違法収集排除法則を適用して判断するという枠組みを提示しました。この判断基準に関して、本裁判例の解説である刑訴百選【11版】71事件は下記のように指摘します。
「最判昭和53年9月7日(刑集32巻6号1672 頁・本書88事件)以降,最高裁が排除法則の適用の対象としてきたのは証拠物(非供述証拠)であったが,同法則自体は,自白(供述証拠)に対する適用を除外するものではない。「令状主義の精神を没却するような重大な違法があり,これを証拠として許容することが,将来における違法な捜査の抑制の見地からして相当でないと認められる場合においては,その証拠能力は否定される」という昭和53 年判決の基準は,自白に対して同法則を適用する場合にも妥当すると考えられる。ただし,上記の基準は,排除法則に基づく排除の範囲を限定的なものとしているため,違法収集自白に同法則を適用しても,任意性説を前提とする自白法則の適用範囲よりも狭くなるおそれがある(廣瀬健二・本百選〈第10版〉169頁参照)。そのような指摘も相まって,違法収集自白には,証拠物とは異なる基準が検討されるべきであるとの見解も存在する。
いかなる場合に排除法則が適用されるかについては,任意同行や宿泊措置,身体拘束手続のほか,黙秘権の告知や接見制限など,取調べをとりまく一連の手続過程における違法に限定されると考えることもできる一方で,違法な取調べ方法によって獲得された自白について排除法則を適用することは否定されないとの指摘がある(川出敏裕『判例講座刑事訴訟法〔捜査・証拠篇〕〔第2 版〕」[2021]374 頁)」
「近時の学説は,自白法則と排除法則が自白(供述証拠)に重畳的に適用されることを認める(二元説)。2つの証拠法則のそれぞれの適用範囲は,各法則の根拠や基準に関する考え方次第で変わってくるが,いずれにしても,その主なねらいは,任意性説をとった場合に自白法則の適用が及ばない領域を排除法則で補うところにあるといえる。この観点からは,また,自白法則には明文の規定があることを重視するならば,㋐自白法則の適用をまずは模索した上で,それができない場合に排除法則の適用を検討することになる。あるいは,㋑両法則の適用に関して明確な先後関係を見出さず,具体的事案に応じた判断をするべきであるとの見解もある(河原俊也「深夜及び長時間の取調べによって得られた自自の証拠能力及びそのような取調べを行う際の警察の制度・規制の内容について」警論75巻2号95頁)。また,㋒「取調べ方法以外の点で重大な違法がありかつその違法手続の下で自白が得られたこと自体が確認でき」る場合には,排除法則の判断を先行させる方が「簡明」であるとする見解もある(小林充「自白法則と証拠排除法則の将来」現刑38号65 頁)。」
「違法な任意捜査に基づいて獲得された自白に,両法則がいずれも適用される可能性を示唆した本判決も,この二元説に依拠したものとみることができる。その上で,「本件のように手続過程の違法が問題とされる場合には,……〔先に〕排除法則の適用の可否を検討し,違法の有無.程度,排除の是非を考える方が,判断基準として明確で妥当である」と判示した点は,少なくとも,宿泊措置が違法とされた本件事案に関する限り,上記㋒の立場と親和的である。」
本裁判例の百選の解説によれば、上記の㋒の判断に本裁判例は親和性があるとも評価できると思われます。
なお、違法収集証拠排除法則に関する記事は別の機会に取り上げます。

