大阪高裁令和5年2月8日令和4年(う)第197号・重要判例解説令和5年度刑法1事件(傷害被告事件・自招侵害と正当防衛)

 本裁判例は、夜間普通乗用自動車を運転中、同方向に進行していた普通乗用自動車のA(41歳)の運転に立腹し、自車をA車の前に停車させ、運転席にいたAの頭部をモンキレンチ様の鈍器で殴るなどの暴行を加え、Aに加療約10日間から3週間の頭部陥没骨折等の傷害を負わせた、として傷害罪で起訴された被告人について、被害者の被害状況に関する証言部分に限っては信用できるとして正当防衛の成立を否定し、被告人を有罪とした原判決の認定・判断は、論理則、経験則に反し前提を誤った不合理なものである、として事実誤認で破棄し、無罪を言い渡した事例判決です。

 被害者の挑発等をきっかけにした傷害行為に正当防衛が成立するか問題となりました。原審は正当防衛の成立を否定し、本裁判例は正当防衛の成立を肯定しました。いわゆる自招侵害の場合に正当防衛が成立するかが問題となります。被害者のした挑発行為は、本裁判例によれば、要旨「被告人は、自分が運転する車の後方から車間距離を詰めたり、クラクションを鳴らしたりするなどしてきた被害者の運転態度に立腹し、自分が運転する車を被害者が運転する車の前に出して同車を停車させたところ、被害者が運転する車も被告人が運転する車の後方に停車した。被告人は、被害者に注意しようと、作業着のポケットに入っていたモンキレンチを右手に持って降車し、被害者の車に近づいた。被告人は被害者が被告人を撮影していることを認識したことから、車に戻ろうとした。そのように車に戻りかけた被告人に対し、被害者は「びびっとんのか、こら。こじき。ぼけ。掛かってこいや。」などと罵声を浴びせてきた。」等というものです。

 詳細な事案は本裁判例によると以下の通りです。

 「2 関係証拠によって認定できる事実
 以上のとおり、原判決の認定、判断のうち、Aの証言に関する信用性の判断及びこれに依拠した一連の事実経過の認定は是認することができない。そこで、上記1で検討したところを踏まえ、大筋において信用できる被告人の供述と他の原審関係証拠に基づいて一連の事実経過を見ると、被告人が、モンキレンチによる打撃行為に及んだ状況及びその前後の一連の経過について、以下の事実が認められる。

 (1)被告人は、被告人車の後方から車間距離を詰めたり、クラクションを鳴らしたりするなどしてきたAの運転態度に立腹し、令和元年10月16日午後8時22分52秒頃、被告人車をA車の前に出して停車させると、A車も被告人車の後方に停車した。
 (2)被告人は、Aに注意しようと、作業着のポケットに入っていたモンキレンチを右手に持って降車し、A車に近づいたところ、運転席に座っていたAがフロントガラス越しに被告人をスマートフォンで撮影する動作をしているのに気づき、当時着用していた作業着に会社のネームが入っていたことから、撮影されたら後々会社に迷惑がかかるかもしれないと思い直して、被告人車に戻ることにした。
 (3)ところが、戻りかけた被告人に対し、Aが「びびっとんのか、こら。こじき。ぼけ。掛かってこいや。」などと罵声を浴びせてきたため、被告人は一層立腹して、やはり注意だけはしようとA車に再び近づき、まずは撮影を止めさせようと、「止めろ」と言いながら、空いていた左手をAのスマートフォンのレンズにかぶせに行った。Aは、これを避けようとしてA車の内側方向に身体をのけぞらせたため、被告人の身体も前傾して、その左手や頭部が開いていたA車の運転席ドアの窓からA車の中に入った。すると、いきなりAが被告人の顔面等を数回殴打した。
 (4)被告人は、この殴打によって鈍器で殴られたような強い衝撃を受け、逃げるように左手や頭部を運転席ドアの外に出したところ、Aが運転席ドアを開けて降車しようとしてきたため、同ドア越しにとっさに右手に持ったモンキレンチを複数回にわたりAに向けて振り下ろし、Aの左頭頂部や左中指等に傷害を負わせた。また、その際、モンキレンチが本件サイドバイザーにも当たり、その一部が損壊した。
 (5)その直後の同日午後8時23分21秒頃、A車が徐々に後退し始めたことから、AはA車の運転席に戻り、被告人も自車に戻った。
 (6)なお、Aは、本件当時41歳で、身長が191cm、体重が120kgあり、空手の有段者で、世界大会への出場経験もあった。一方、被告人は47歳で、身長は169cmであった。」

 正当防衛の成否に関する部分について、本裁判例を一部引用します。

 「3 正当防衛の成否について
 (1)当裁判所の判断
 以上の認定事実を前提に、正当防衛の成否を検討する。
 ア 本件の公訴事実は、被告人がAに向けて右手に持ったモンキレンチを複数回振り下ろしてけがを負わせた上記2(4)の暴行(以下「本件暴行」という。)を、傷害罪に問うものである。
 しかし、被告人が本件暴行に及んだのは、Aが、上記2(3)及び(4)にあるように、いきなり被告人の顔面等を数回殴打したばかりか、引き続き、A車から降車して被告人のいた車外へ出ようとしたからである。そして、Aのこの一連の行動を見ると、Aが車外で被告人に対し更なる攻撃を加えようとしていたことが優に見て取れるから、上記2(4)のように、車外に出ようとするAに対してとっさになされた本件暴行は、Aからの更なる攻撃を防ぎ、自己の身を守るためになされた対抗行為であると評価することができる。
 また、防衛行為の相当性については、確かに、被告人は、素手のAに対し、モンキレンチを用いて本件暴行を加えており、形式的に見るとその手段には違いがある。しかし、上記2(4)のように、Aによる殴打が被告人に与えた衝撃は相当のものであった上(被告人によると、Aに殴打されて目がちかちかしたというのであるし、現に、その翌日にも殴打された部位の痛みを訴えて医師の診察を受けてもいる。)、上記2(6)のとおり、Aの体格は被告人のそれを圧倒しており、しかも、Aは被告人がモンキレンチを持っていることを分かりながら、あえて被告人に近づこうとしたのであって、本件暴行は、このようにAによる攻撃が質あるいは量において更に拡大することも十分想定し得る状況下において、A車の運転席ドア越しに、とっさに、かつ、ごく短時間の間に連続してなされた数回程度のものにすぎない。こうしたことを考慮に入れて実質的に比較すると、本件暴行の持つ危険性が、Aの行為の持つあるいは持ち得る危険性を直ちに上回るとまではいえず、本件暴行が、対抗行為として許される相当な範囲を逸脱したものであるとはいえない。
 したがって、被告人の本件暴行は、Aによる攻撃に対し、対抗行為に出ることが正当とされる状況において、やむを得ずにした行為として、正当防衛に当たるというべきである。
 イ なお、被告人は、上記2(2)及び(3)のように、右手にモンキレンチを持って被告人車から降車し、A車のところまで赴いた上、スマートフォンで被告人を撮影するような動作をしていたAに対し、それをやめさせようとスマートフォンのレンズに左手をかぶせに行き、最終的には、その左手や頭部が、開いていたA車の運転席ドアの窓からA車の中に入ったことが認められる。
 しかし、被告人は、一旦はA車に向かったものの、上記2(2)のような事情から被告人車に引き返そうとしていたのであり、それにもかかわらず、再びA車に向かい、運転席に座るAと相対することになったのは、Aが被告人に対し上記2(3)のような罵声を浴びせたためである。この罵声は、甚だ侮辱的で、かつ、意図的なけんかへの挑発・誘導を内容とするもの(以下、単に「挑発等」という。)であり、これがなければ、被告人は、そのまま被告人車に戻り、両者が相対することもなく、トラブルが収束するであろう状況にあったということができる。また、挑発等を受けての被告人の行動を見ても、モンキレンチを持ったままA車に向かってはいるものの、Aの殴打行為に先んじて、モンキレンチをAに示して脅すような素振りを見せたことも、ましてや、それを用いてAに暴力を振るうような素振りを見せたこともなかったし、A車にその左手や頭部を入れたといっても、意図的にA車の中に侵入しようとしたのではなく、Aによる撮影の動作をやめさせるため、Aのスマートフォンのレンズに左手をかぶせに行った流れの中で、Aが身体をのけぞらせたために更に左手を伸ばし、それに伴って顔面が運転席ドアの窓からA車内に入ったというものにすぎず(被告人のこうした動きは、Aにとっても想定し得る範囲内のものであったといえる。)、けんかの挑発そのものに応じたものではない。
 このように、本件のような身体的衝突に至る引き金となったのは、可罰的ではないにしても不正であるか、少なくとも甚だ不穏当なAによる挑発等であることが明らかであり、この挑発等を契機にA車に向かい、Aと相対したとはいえ、これに対する被告人の行為は上記のような態様のものにとどまった一方、Aは、被告人の左手を払ったり、その体を押し返したりするなどして対応することも容易であったのに、いきなり被告人の身体枢要部である顔面等を狙って数回殴打するという、被告人の行為とは質的に異なる暴行でこれに応じたのである。
 そうすると、被告人による本件暴行は、Aが上記のような不正な挑発等をきっかけにして自ら招いたものといえるか、仮にそれが不正とまではいえないものであっても、上記2(1)に見られる運転態度に始まるAの行為の帰責性は相当に大きいというほかなく、Aは被告人との衝突状況の解消に相応の負担を負うべき立場にあったといえるのに、かえって上記のような殴打行為にまで及んでいることからすると、被告人がその殴打行為の直前までに上記のように行動していたからといって、Aの殴打行為に対する被告人の正当防衛が許されない状況に至っていたとはいえない。
 また、以上のような事実経過に照らすと、これを全般的に観察しても、被告人とAがけんか闘争の状況にあったとはいえず、前提となる事実経過を誤認した上、被告人とAはけんか闘争の状況にあったとして、闘争の全般から見て正当防衛の観念を容れる余地がない場合に当たるとした原判決の判断も、是認できない。
 したがって、いずれにしても、Aによる殴打行為の直前までの被告人の上記のような行動の存在が、本件暴行が正当防衛に当たるとの上記判断を左右することはない。
 (2)検察官の主張に対する判断
 これに対し、検察官は、まず、Aの証言を前提に検討すると、被告人には正当防衛はもとより、過剰防衛も成立しないと主張するが、Aの証言の信用性に疑問があることは上記のとおりであって、検察官のこの主張は前提を欠くというべきである。
 次に、検察官は、被告人の供述を前提に検討しても、被告人の内心の意図はどうあれ、被告人がA車を無理やり停車させた上、凶器になり得るモンキレンチを手にしてA車に向かい、左手や頭を運転席窓からA車の中に入れた行為は、Aが被告人を挑発する言葉を発していたとしても、不正の行為であることに変わりはないから、Aがこれに対抗して被告人の顔面を殴打しても、それに対する正当防衛が許容されることない旨主張する。しかし、検察官のこの主張は、上記(1)イで説示したようなAの挑発等が有する不正性あるいはAの一連の行為の帰責性の大きさを過少に評価するものである上、被告人の行為の評価についても異なる前提に立つもので、採用することができない。」

 本裁判例は被告人と被害者の喧嘩の事案であることから喧嘩闘争と正当防衛の事案(最高裁大法廷昭和23年7月7日刑集2巻8号793頁。令和8年度判例六法1743頁。刑法36条の2個目の判例。)と整理することができます。この判例は「互に暴行し合ういわゆる喧嘩は、闘争者双方が攻撃及び防御を繰り返す一団の連続的闘争行為であるから、闘争のある瞬間においては、闘争者の一方がもっぱら防御に終始し、正当防衛を行う観を呈することがあっても、闘争の全般からみては、刑法第36条の正当防衛の観念を容れる余地がない場合がある。」とし、これに続く最高裁昭和32年1月22日刑集11巻1号31頁(令和8年度判例六法1743頁。刑法36条の3個目の判例。)は「法律判断として、まず喧嘩闘争はこれを全般的に観察することを要し、闘争行為中の瞬間的な部分の攻防の態様によって事を判断してはならないということと、喧嘩闘争においてもなお正当防衛が成立する場合があり得るという両面を含むものと解することができる」としています。喧嘩闘争であっても正当防衛が成立する余地があります。本裁判例はこの点を明示していませんが、上記の判例法理を当然の前提としていると解されます。

 そして、本裁判例の事案のように、被害者の自招行為(「びびっとんのか、こら。こじき。ぼけ。掛かってこいや。」などと罵声を浴びせた行為等)があることから、自招行為と正当防衛の問題となります。これについては、最高裁平成20年5月20日刑集62巻6号1786頁・刑法百選Ⅰ【8版】26事件(令和8年度判例六法1744頁。刑法36条の16個目の判例。以下「自招行為と正当防衛に関する平成20年判例」といいます。)は「相手方から攻撃された被告人がその反撃として傷害行為に及んだが、被告人は、相手方の攻撃に先立ち、相手方に対して暴行を加えているのであって、相手方の攻撃は、被告人の暴行に触発された、その直後における近接した場所での一連、一体の事態ということができ、被告人は不正の行為により自ら侵害を招いたものといえるから、相手方の攻撃が被告人の上記暴行の程度を大きく超えるものでないなどの本件の事実関係の下においては、被告人の上記傷害行為は、被告人において何らかの反撃行為に出ることが正当とされる状況における行為とはいえない。」としています。自招行為と正当防衛に関する平成20年判例については、以下のような指摘があります。「(※自招行為と正当防衛に関する平成20年判例は。執筆者注。)侵害の自招という客観的事実から正当防衛を否定している点に大きな特徴がある。しかも、正当防衛の特定の成立要件に焦点を当てるのが適切ではない事案であることに鑑み、(36条の解釈論に入ることなく)端的に正当防衛を否定する新たな判断枠組みを提示したものとして注目される。」(「応用刑法Ⅰ【第1版】169頁)。

 本裁判例の事案は、侵害の予期ができた事案であることから侵害の急迫性も問題となりえます。刑法36条1項の「急迫」の意義については、最高裁昭和46年11月16日刑集25巻8号996頁(令和8年度判例六法1743頁。刑法36条の4個目の判例。)は「「急迫」とは、法益の侵害が現に存在しているか、または間近に押し迫っていることを意味し、その侵害があらかじめ予期されていたものであるとしても、そのことからただちに急迫性を失なうものと解するべきではない」としています。積極的加害意思がある場合については、最高裁昭和52年7月21日刑集31巻4号747頁(令和8年度判例六法1743頁。刑法36条の5個目の判例。)は「正当防衛について侵害の急迫性を要件としているのは、予期された侵害を避けるべき義務を課する趣旨ではないから、当然又はほとんど確実に侵害が予期されたとしても、そのことからただちに侵害の急迫性が失われるわけではないが、単に予期された侵害を避けなかつたというにとどまらず、その機会を利用し積極的に相手に対して加害行為をする意思で侵害に臨んだときは、もはや侵害の急迫性の要件を充たさない」とし、急迫性を欠き正当防衛は成立しないとしていました。最高裁平成29年4月26日刑集71巻4号275頁・刑法百選Ⅰ【8版】23事件(令和8年度判例六法1744頁。刑法36条の6個目の判例。)は、侵害を予期した上で対抗行為に及んだ場合における刑法36条の急迫性の判断方法について、「行為者が侵害を予期した上で対抗行為に及んだ場合、侵害の急迫性の要件については、対抗行為に先行する事情を含めた行為全般の状況に照らして検討すべきであり、事案に応じ、行為者と相手方との従前の関係、予期された侵害の内容、侵害の予期の程度、侵害回避の容易性、侵害場所に出向く必要性、侵害場所にとどまる相当性、対抗行為の準備の状況(特に、凶器の準備の有無や準備した凶器の性状等)、実際の侵害行為の内容と予期された侵害との異同、行為者が侵害に臨んだ状況及びその際の意思内容等を考慮し、緊急状況の下で公的機関による法的保護を求めることが期待できないときに私人による対抗行為を許容した刑法36条の趣旨に照らし許容されるものとはいえない場合には、侵害の急迫性の要件を充たさないものというべきである。」としていました。このように急迫性に関する判例法理は、侵害を予期した上で対抗行為に及んだ場合における侵害の急迫性の要件については、対抗行為に先行する事情を含めた行為全般の状況から、刑法36条の趣旨に照らし許容されるものといえるかどうかで決すべきであるという判断枠組みを採用しており、積極的加害意思が認められないときでも急迫性が否定される場合がありうるとしています(「応用刑法Ⅰ【第1版】148頁、153頁以下参照)。

 本裁判例は、被害者による挑発行為の帰責性を強調して、被告人の正当防衛を肯定しました。本裁判例は、被害者が自車に戻ろうした被告人に対し、「びびっとんのか、こら。こじき。ぼけ。掛かってこいや。」などと罵声を浴びせたことを、「甚だ侮辱的で、かつ、意図的なけんかへの挑発・誘導を内容とする」挑発的言動として重視し、これが被告人の本件殴打行為を誘発したものと認めています。被害者の言動の捉え方の差異が、本件の結論を左右したものと考えられるが、との指摘があります(以上につき、本裁判例の判例秘書:L07820074の解説参照)。