最高裁昭和60年11月29日刑集39巻7号532頁・刑訴百選【11版】50事件(被告人の確定)

1 はじめに

 本判例は、執行猶予の言渡しがあつた事件において、被告人が、捜査官に対しことさら知人である甲女の氏名を詐称し、かねて熟知していた同女の身上及び前科をも正確詳細に供述するなどして、あたかも甲女であるかのように巧みに装つたため、捜査官が全く不審を抱かず、指紋の同一性の確認をしなかつたことにより、当該判決の確定前に被告人自身の前科を覚知できなかったという場合には、検察官は刑法26条3号による執行猶予の取消請求権を失わないとしたものです。

2 前提となる知識

⑴刑法
26条柱書及び3号
次に掲げる場合においては、刑の全部の執行猶予の言渡しを取り消さなければならない。ただし、第3号の場合において、猶予の言渡しを受けた者が第25条第1項第2号に掲げる者であるとき、又は次条第3号に該当するときは、この限りでない。
1及び2は省略
三 猶予の言渡し前に他の罪について拘禁刑以上の刑に処せられたことが発覚したとき。
⑵刑訴法
249条
公訴は、検察官の指定した被告人以外の者にその効力を及ぼさない。
256条2項
②起訴状には、左の事項を記載しなければならない。
1 被告人の氏名その他被告人を特定するに足りる事項
2 公訴事実
3 罪名
461条
簡易裁判所は、検察官の請求により、その管轄に属する事件について、公判前、略式命令で、100万円以下の罰金又は科料を科することができる。この場合には、刑の執行猶予をし、没収を科し、その他付随の処分をすることができる。
461条の2
①検察官は、略式命令の請求に際し、被疑者に対し、あらかじめ、略式手続を理解させるために必要な事項を説明し、通常の規定に従い審判を受けることができる旨を告げた上、略式手続によることについて異議がないかどうかを確めなければならない。
②被疑者は、略式手続によることについて異議がないときは、書面でその旨を明らかにしなければならない。
462条 略式命令の請求は、公訴の提起と同時に、書面でこれをしなければならない。
② 前項の書面には、前条第2項の書面を添附しなければならない。

3 問題の所在

 「刑訴法249条は,「公訴は,検察官の指定した被告人以外の者にその効力を及ぼさない」と規定し,公訴提起は起訴状の提出によって行われる要式行為であるから(刑訴256条1項),規定のあり方からして「検察官の指定した被告人」が誰かは起訴状における被告人の表示が基準となる。ところが起訴状の表示と検察官が起訴しようとした者,被告人として行動した者との間にずれが生じることがありうる。この場合にどのような解決を図るかについて,表示を基準とすべきとする表示説,被告人としての行動を基準とすべきとする行動(挙動)説,検察官の意思を重視する意思説が古典的には主張されてきた。
 表示説を基本としつつ,検察官の意思や被告人としての行動も加味して判断する実質的表示説が通説であ」る。」

4 判旨

 「本件抗告の趣意一の1は、判例違反をいうが、所論引用の判例は事案を異にして本件に適切でなく、適法な抗告理由に当たらない。なお、本件取消請求の対象である執行猶予の判決の効力が申立人に及ぶとした原審の判断は正当である。
 同一の2は、判例違反をいうが、所論引用の判例は事案を異にして本件に適切でなく、適法な抗告理由に当たらない。なお、原決定の認定するところによれば、本件においては、申立人が、捜査官に対し、ことさら知人Aの氏名を詐称し、かねて熟知していた同女の身上及び前科をも正確に詳しく供述するなどして同女であるかのように巧みに装ったため、捜査官は、申立人が右Aであることについて全く不審を抱かず、両者の指紋の同一性の確認をしなかった結果、執行猶予の判決確定前には申立人の前科を覚知できなかつたというのであるから、検察官が執行猶予取消請求権を失わないとした原審の判断は正当である。
 同二は違憲をいうが、刑法26条3号の規定が憲法39条後段に違反するものでないことは、当裁判所大法廷決定(昭和……33年2月10日決定・刑集12巻2号135頁)の趣旨に徴し明らかであるから、論旨は理由がない。
 よって、刑訴法434条、426条1項により、主文のとおり決定する。
 この決定は、裁判官伊藤正己の補足意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。
 裁判官伊藤正己の補足意見は、次のとおりである。
 私は、刑法26条3号の規定が憲法に違反するものではないとすることにおいて法廷意見に同調するものであるが、その規定を限定的に解釈することによつてその結論に達することができると考えるので、その点について補足的に若干の意見を述べておくこととしたい。
 刑法26条の規定する刑の執行猶予の言渡の取消は、確定判決の一部を事後に修正するものであり、しかも、それは刑の内容そのものを被告人に不利益に変更するのと実質的に異ならない面をもつものである。被告人は、執行猶予の判決が確定した場合には、自己の責に帰すべき事後の事情が加わったときは別として、そうでない限り刑の執行をうけないものとの期待と信頼をもつのであり、憲法39条後段による二重の危険の禁止は、被告人のそのような期待と信頼が合理的事由なしに奪われないように保護し、法的安定に奉仕するという趣旨を含むものと解される。そうであれば、執行猶予の言渡が刑の言渡そのものではなく、単に付随的処分であるという理由のみをもつて、どのような場合にその取消を認めるかはすべて立法の裁量に委ねられており、そこに立法の妥当かどうかの問題はあつても、憲法に違反するかどうかの問題を生ずることはないというのは正当でない。したがって、刑法26条の規定については憲法適合性を検討しなければならないことになる。
 刑法26条1、2号の規定は、執行猶予制度の趣旨、目的からみて刑の執行猶予の言渡に内在する合理的事由に基づく取消を認めるものと考えられ、憲法の許容するところであって、それに違反するものといえない。これに反して、同条3号の規定は、執行猶予の言渡をすることに障害となる前科の存在が後に発覚した場合に、すでに確定した執行猶予の言渡を取消すべきものとしているのであり、これをその言渡に内在するものとして予定されていたことが現実化したものと考えるのは必ずしも適当ではなく、同号による取消には、その文言上も限定がおかれておらず、合理的と考えられる事由のないにもかかわらず取り消されることのありうるのを認めているようにみえるのであって、これを違憲とする見解には耳を傾けるべきところが少なくない。しかし、執行猶予の言渡は刑の言渡そのものではないから、憲法三九条後段の定める二重の危険の禁止に関して刑の言渡と同じに考える必要はなく、適正な刑罰権の実現という利益と右にのべたような被告人の期待と信頼を保護する利益とを比較して、前者を優先させてよいとする合理的事由の存する場合には、刑法26条3号を適用して執行猶予の言渡の取消を認めても、それが憲法に反するものとはいえないと解される。このように同号の規定を限定して解釈適用する限りにおいて、それを違憲とすべき理由はないと思われる。すでに同号に関しては、当裁判所の一連の判例があるが、そこでは、いわゆる上訴是正主義をとり、検察官が上訴をすることによつて執行猶予の言渡のついた判決の確定を阻むことが容易であつたにもかかわらずこれをしなかった場合には、検察官は執行猶予取消請求権を失うものとされており、これは合理性を欠く取消請求を排斥するものであり、その反面において、検察官が執行猶予判決を確定ざせたことについてやむをえない事由があるときには、なお取消請求権が失われないとされているものと解されるが、このような判例の立場は、憲法解釈についての前述の私の見解からも是認できるものである(なお、上訴で是正しなかったことがやむをえない事由によるものであるかどうかは、相当に厳格な基準でもって判断するのが憲法の趣旨に合致するものであり、更に現在の科学技術からみて、前科を早急に覚知できなかつたことについてやむをえない事由による場合は少なくなっていることも注意すべきである。)。
 本件においては、申立人は、ことさらに他人の氏名を詐称し、かねて熟知していたその身上及び前科を正確に詳しく供述するなどして巧みに装い、そのために捜査官が申立人の前科の存在を知ることができなかったというのであって、捜査官が申立人の右前科の存在を知らなかったことについて、仮に捜査官の側の対応に多少問題とされる点があったとしても、申立人の側の責に帰すべき事由が甚だ大きい場合であったというべきであるから、このような場合に執行猶予の言渡の取消を認めても、それが不合理な事由に基づくものということはできず、前述のような刑法26条3号の限定された解釈のもとでも、取消を許される場合に該当するものと考えられる。」

5 解説(判例タイムズ580号58頁)

 「一、本決定は、本誌572号94頁に掲載された大阪高決昭60・8・20に対してなされた特別抗告に対するものである。
 甲は、住居侵入、窃盗未遂の事件を犯して現行犯逮捕されたが、それ以前に窃盗罪で実刑に処せられて刑の執行終了後5年を経過していなかったため、本名を名乗れば右前科との関係で実刑を免れないと考え、生年月日、本籍、前科の内容等を熟知していた知人乙の氏名を冒用し、取調べの際もその身上、前科等を正確に詳しく供述した
 そのため、捜査官はまったく不審を抱かずに乙の氏名で起訴し、審理を経て、執行猶予の判決が言い渡された。
 なお、甲は、逮捕された際に指紋を採取されたが、右事件の捜査をした警察署では、重大事件や氏名黙秘の事件などを除き、指紋照会(国家公安委員会の指紋等取扱規則9条参照)をしていなかった。
 このようなことから、検察官は、甲が5年以内に刑の執行を受けていたことに気付かず、執行猶予の判決を確定させてしまったが、その後、甲がさらに住居侵入、窃盗事件を犯した際、右のような執行猶予の判決を乙の名前で受けていたことが判明したので、執行猶予取消請求をなした。
 原原審、原審とも、執行猶予取消請求を認容したのに対し、甲は特別抗告し、「捜査官が甲から採取した指紋を乙の指紋と照合していれば、甲の前科を覚知することが容易であったから、検察官は執行猶予取消請求権を失う」と主張した ところで、刑法26条3号は、執行猶予の言渡しをすることに障害となる前科の存在が執行猶予の判決確定後に発覚した場合にその執行猶予の言渡しの取消しを認める規定であるが、同号の解釈につき、最高裁の一連の判例は、いわゆる上訴是正主義を採っている。
 すなわち、検察官が執行猶予の障害となる前科の存在を覚知し、上訴をすることによってその執行猶予の判決の確定を阻むことができたのにそれをしなかった場合には、検察官は執行猶予の取消請求権を失うとされ(最高大法廷決昭33・2・10刑集12巻2号135頁、最高3小決昭41・1・28刑集20巻1号1頁等参照)、さらには、検察官がそのような前科の存在を現実に覚知していた場合だけでなく、容易に覚知できたような場合も現実に覚知したのと同様であるとされている(最高2小決昭53・11・22刑集32巻8号2140頁、最高1小決昭56・11・25刑集35巻8号884頁)。
 そして、これらの判例の背景には、検察官はその責に帰すべき事由によって執行猶予判決を確定させてしまった場合には取消請求権を失うという、エストッペル的な考え方があると説明されている(神作・最高裁判例解説昭和53年度467頁参照)。
 二、本決定は、「甲が捜査官に対し、ことさら知人である乙の氏名を詐称し、かねて熟知していたその身上及び前科をも正確詳細に供述するなどして、あたかも乙であるかのように巧みに装ったため、捜査官が全く不審を抱かず、指紋の同一性の確認をしなかったことにより、当該判決の確定前に甲自身の前科を覚知できなかったという場合には、検察官は刑法26条3号による執行猶予の取消請求権を失わないしと判示して、特別抗告を棄却した。
 甲の前科を覚知することが容易であったか否かという面からは判断していないが、伊藤裁判官の補足意見のうち、「本件は、仮に捜査官の側の対応に多少問題とされる点があったとしても、申立人(甲)の側の責に帰すべき事由が甚だ大きい場合であったというべきであるから、このような場合に執行猶予の言渡の取消を認めても、それが不合理な事由に基づくものということはできず、刑法26条3号の限定された解釈のもとでも、取消を許される場合に該当するものと考えられる」という部分の考え方が本決定の背景にあるものと思われる。
 犯罪捜査規範131条は、逮捕した被疑者について指紋照会を行うべきものとしているから、それを行わなかったことが問題とされる余地があると思われるが、仮に問題とされるとしても、それも甲が巧妙に捜査官を欺いたためであるばかりか、それにもまして甲の帰責事由が甚だ大きいのであるから、検察官は取消請求を失わないとするのが合理的だとの判断によるものであろう。
 このように、本決定は、上訴是正主義の一連の判例を補うものである。
 三、なお、本決定は、刑法26条3号の規定が憲法39条後段に反するとの抗告趣意に対し、前掲最高裁大法廷決定昭33・2・10を引用して合憲だとしているが、右規定の合憲性については限定的な解釈が必要だとする伊藤裁判官の補足意見が付されている。
 また、本決定は、乙名義で受けた執行猶予判決の効力は甲に及んでいないとの抗告趣意に対し、「右判決の効力が甲に及ぶとした原審の判断は正当である」と判示している。
被告人の特定の問題については、周知のように、表示説、行動説、意思説のいずれを重視するかにつき、種々の見解があるが(原決定についての前記本誌コメント参照)、裁判が誰に対してなされたものかという問題については、起訴されているのは誰かという問題とは別個の判断が必要であり、行動説的な視点が重要であるともいわれている(井上正仁・警察研究53巻4号81頁)。
 本件では、乙の氏名を冒用した甲は、身柄拘束のまま起訴され、その後保釈されたが、公判廷に出頭して審理を受け、判決の宣告を受けたのであるから、右判決の効力が甲に及ぶことに異論はないものと思われる。」

6 関連する論点(略式命令の場合)

 

⑴刑訴百選【11版】50事件解説3

 「略式手続(刑訴461条以下)でも被告人の確定が問題になる。公訴提起に際して略式手続を請求する検察官は略式手続によることについて異議がない旨の被疑者の申述書を添付し,略式命令に必要な書類,証拠物を裁判所に差し出す。被告人が在宅の場合には,略式命令は起訴状記載の被告人の住居に送達されることになる。送達を確実に行うため,被疑者を検察庁に在庁させて裁判所に略式命令を請求し,即日略式命令が発せられた段階で被告人を裁判所に連れて行き裁判所は直ちにその略式命令の謄本を被告人に交付して送達を完了させるやり方もあり,「在庁略式」または「待命略式」と言われている。逮捕中または勾留中の被疑者だけでなく,在宅の被疑者を検察庁に呼び出す場合もあり略式命令請求書に「在庁」または「待命」と表示し,身柄拘束中の場合には「逮捕中」,「勾留中」の表示をするとされる(司法研修所検察教官室編「検察講義案(平成27年版)」[2016] 87頁)。」

 「略式手続は書面審理であるため.略式命令の送達を含め基本的に起訴状の表示等に依拠せざるをえない。他人が氏名を冒用したために略式命令を受けたことを理由として,被冒用者または検察官による再審請求を認容した裁判例があり,略式命令の名宛人が被冒用者であることを前提にする(植田簡決昭和36年11月6日下刑集3巻11=12号1292頁,朝日簡決昭和39年10 月28日下刑集6巻9=10号1193頁)。
 起訴状記載の被告人に略式命令が送達された後に検察官から正式裁判の申立てがなされ,起訴状の住所と実質的に同じ住所宛の召喚状の送達を受けた起訴状記載の被告人が第1回公判に出廷して冒用者とは別人であることが判明したが,検察官からの被告人の表示の訂正を認めなかった東京高決昭和36年7月28日(東高刑時報12巻7号128頁)がある。正式裁判請求がなされて,検察官が公訴を取り消せば公訴棄却の決定がなされ(刑訴339条1項3号),公訴の取消しがなければ無罪判決となる……。

 「在宅在庁略式である交通違反に関する三者即日処理方式について本決定で言及された最高裁昭和50年5月30日刑集29巻5号360頁(※後述)があり,冒用者である被告人に略式命令の効力は生じないとした。」

⑵ 最高裁昭和50年5月30日刑集29巻5号360頁(以下「三者即日処理方式に関する昭和50年判例」といいます。)

ア 判旨

 「弁護人堀合辰夫、同長谷川修連名の上告趣意は、違憲(39条違反)をいうが、実質は単なる法令違反の主張であつて、刑訴法405条の上告理由にあたらない(なお、原判示の事実関係のもとで被告人が他人の氏名を冒用して交付を受けた略式命令は冒用者である被告人に効力を生じないとした原判決の判断は、正当である。)。
 よって、同法414条、386条1項3号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

イ 解説(判例タイムズ323号136頁)

 「一 本件は、無免許で酒気帯び運転をした被告人が、警察官の取締りを受けた際、かねて拾得所持していた知人の運転免許証を示して知人になりすまし、無免許運転の罪の追及を免れ、酒気帯び運転の罪だけで罰金2万円に処するとの略式命令を受けて罰金を納付したところ、その後に無免許であることが発覚し、改めて無免許運転で起訴されたため、さきに発せられた酒気帯び運転の罪についての略式命令の効力が後に起訴された無免許運転の罪にも及んでいるかどうかが問題となった事案である。
 二 一審の東京地裁は、他人名義の酒気帯び運転についての略式命令が冒用者である本件の被告人に対するものであるとの前提の下に、酒気帯び運転と無免許運転とは観念的競合の関係にあるから、原則として酒気帯び運転についての裁判の既判力は無免許運転にも及ぶことになるとしながら、本件の場合は、交通切符適用事件であることと被告人が無免許運転の罪を免れるため積極的な工作をしたことの2点を理由に、例外的に酒気帯び運転の罪についての裁判の既判力がそれと観念的競合の関係にある無免許運転の罪に及ばないとし、同罪を遺失物横領および私文書偽造同行使の各罪とともに有罪としたうえ、被告人に対し懲役10月の判決を言い渡した。
これに対し、被告人から控訴の申立があり、弁護人は、控訴趣意書中で、酒気帯び運転の罪についての略式命令の効力は無免許運転の罪にも及ぶから、同罪については被告人を免訴すべきであると主張した。
 二審の東京高裁は、右弁護人の主張に対しては正面から判断せず、全く別個の観点から考察し、「さきに発せられた酒気帯び運転についての略式命令によつて処罰されたのは、運転免許証を冒用した被告人ではなく、冒用された運転免許証の名義人であると認めるべきであるから、本件被告人の無免許運転の罪と観念的競合の関係にある酒気帯び運転の罪については未だ本件被告人に対する確定裁判は存在しないものといわなければならない。
したがつて、第一審判決の理由は右と異なるが、無免許運転の罪が刑訴法337条1号にあたらないとする点で右と同一であるから、結論において正当であり、論旨は結局理由がない」と述べて、控訴を棄却した。
このため、これを不服とする被告人が最高裁に上告していたものである。
 三 本件の問題点は、無免許者が他人の運転免許証を示しその他人名義で酒気帯び運転につき三者即日処理方式(※道路交通法違反等……により、警察官から道路交通法違反事件迅速処理のためのいわゆる赤切符の交付を受けて出頭日時・場所を告知された人について、①警察の取調べ、②検察庁の取調べ、③裁判、④罰金の仮納付を1日で行う処理方式)による略式命令で処罰された場合の被処罰者はその他人か本人か、ということである。
 一般に、甲が乙の氏名を冒用して起訴され、乙を被告人とする略式命令が発せられてそれが乙に送達された場合(いわゆる通常略式の場合)には、被冒用者である乙が被告人であると解するのが通説(岸・刑訴法要義42頁、横川・刑事裁判の研究179頁、正田「刑事訴訟における『被告人』決定の基準」ジュリスト352号95頁、平場ほか・注解刑訴法(中)268頁。
 なお、横井・刑訴裁判例ノート(6)119頁参照)であり、また、この見解をとったと思われる裁判例(東京高決昭36・7・28東京高裁判決時報12巻7号128頁、上田簡決昭36・11・6下刑集3巻11=12号1292頁、朝日簡決昭39・10・28下刑集6巻9=10号1193頁。
なお、大判明33・2・13刑録6輯2巻30頁参照)もある。
 したがって、判例は、「通常略式」の場合に、被告人を定める基準に関していわゆる表示説の立場に立つものといってよい。
 しかし、本件の「在庁略式」の場合にも、右の「通常略式」の場合と同様に考えてよいかどうかについては、さらに検討する必要がある。
 まず、「通常略式」の場合を考えると、請求事件の審査段階で、裁判所に提出される起訴状、略式手続の告知手続書および申述書並びに証拠書類等に現われているのは被冒用者である乙だけであり、さらに、略式命令の発付段階でも、乙を被告人として表示する略式命令が発せられて、それが乙に送達されているのが常態である以上、右略式命令の名宛人は被冒用者である乙だといってよいと思われる。
 要するに、この場合には、いわゆる意思説ないし挙動説が「表示説」の修正原理として働く余地はないわけである。
 これに対し、三者即日処理方式による「在庁略式」の場合には、書面審査および略式命令発付の段階は通常略式の場合と同一であるが、ただ、略式命令の送達が冒用者である甲になされている点で通常略式の場合とやや事情を異にしている
 もし、甲が現実に略式命令の謄本の交付を受けている点を「判決の宣告」と同一の平面でみれば、甲が被告人として行為したと認める余地もないわけではないが(行為説ないし挙動説)、本件における交付送達(※書類の送達は、特別の定めがある場合を除き、送達を受けるべき者に送達すべき書類を交付してする。刑訴法54条・民訴法102条の2)の実態を考えると、この点は、必ずしも冒用者である甲を被告人とする絶対的な根拠となるものとはいえないであろう。
 なぜならば、略式命令の謄本は、送達実施機関としての裁判所書記官によって甲に交付されており(刑訴規則65条)、この手続に通常の公判手続や交通事件即決裁判手続における人定質問のような被告人選別の機能を認めることはできないし、また、この場面で甲が「裁判所」に対して被告人として行動したものとみることにも無理があるからである。
 そうだとすると、略式命令の送達の点から、略式命令の名宛人につき、「在庁略式」の場合を「通常略式」の場合と別異に解するのは相当でないといわなければならない。
 もともと、略式命令請求事件の審査および略式命令の発付の各段階で、甲が現実に被告人として行為する場面は予定されていないのであるから、裁判所としては、書面上で特定された被告人である乙に対して裁判をするよりほかないわけであるし、たとえ、検察官が甲を被告人とする意思であったとしても、起訴状に被告人として表示されている者は、甲によって住居、氏名等を冒用された実在人である乙であり、しかも、甲が当時乙の名前で身柄拘束されていたわけでもないこと(検察官の内心的意思に客観性の保障を伴っていない)を考えあわせると、甲が被告人として取り扱われる客観的情況にあったものとはいえないであろう。
 とくに、非公開の書面審理を原則とし、簡易迅速な処理を旨とする略式手続では、手続の画一・明確化の強い要請に基づき、いわゆる表示説による解釈原理が妥当するとされているので、本件の場合にも、起訴状および略式命令に表示された乙と検察官の意図した甲との同一性を認めることは、特段の事情がない限り、相当でないと思われる。
 四 いずれにしても、本決定は、三者即日処理方式による略式手続で他人の氏名を冒用して交付を受けた略式命令が冒用者に効力を生じないとされた事例に関するものであるが、従来、本件の原判決以外には直接触れた先例が見あたらなかった分野であるだけに、その先例的意義は大きいといえよう。
 なお、本決定によって是認されることになった原審の事件処理のしかたは、従来の既判力ないし一事不再理効についての通説的見解を維持しながら、他方、交通事件の罪数に関する最高裁の新判例(最大判昭49・5・29刑集28巻4号151頁、本誌309号245頁、評釈、鈴木茂嗣・本誌311号2頁、最一小決昭49・11・28判例時報759号107頁、本誌319号270頁)を適用すると具体的妥当性を欠くような事態を回避しうる点で、とくに注目されるところであり、交通事件の捜査並びに裁判の実務への影響も少なくないと思われる。」

⑶ まとめ

 名義冒用の場合において、略式命令のときは、在庁略式については、被告人が出頭し、被告人に(交付)送達をする場合であっても、略式命令の特質である書面審理等からして、非冒用者を被告人と解する。冒用者が被冒用者名義で身柄拘束を受けていた場合は本来の被告人である冒用者の行動等を斟酌する余地がありますが、それがない略式命令(三者即日処理方式を含みます)においては、表示説に依拠して、被冒用者を被告人と解するほかありません。

 これが、本判例と異なる点です。本判例の事案においては、冒用者は身柄拘束されており、終始、被告人として行動をしたという事情があります。そのため、表示説のうち、実質的表示説によれば、被告人として行動したことや検察官の訴追意思、裁判所が冒用者を被告人として取り扱ったこと等を斟酌し、冒用者を被告人と解することができるとしたと考えられます。

 本判例は、三者即日処理方式に関する昭和50年判例を上告趣意とした弁護側の主張を退けていますが、理由は上記のように整理することができるでしょう。