最高裁令和5年9月11日刑集77巻6号181頁・重要判例解説令和5年度刑法2事件・刑訴3事件(被告人Aに対する脅迫、被告人Bに対する強要未遂被告事件)
本判例は、①刑法223条の「義務」の意義及び強要罪の成否の判断方法、②原判決が「判決に影響を及ぼすことが明らか」な事実誤認があるとして第1審判決を破棄する場合に求められる事実誤認審査の在り方が問題となりました(本判例に関する調査官解説である法曹時報77巻10号2760頁参照)。
判例を引用します。
https://www.courts.go.jp/hanrei/92347/detail2/index.html
「検察官の上告趣意のうち、刑法223条にいう「義務」の解釈について判例違反をいう点は、事案を異にする判例を引用するものであって、本件に適切でなく、その余は、判例違反をいう点を含め、実質は単なる法令違反、事実誤認の主張であり、被告人Aの弁護人森博行の上告趣意は、事実誤認、量刑不当の主張であって、いずれも刑訴法405条の上告理由に当たらない。
しかしながら、検察官の所論に鑑み、職権をもって調査すると、原判決は、刑訴法411条1号により破棄を免れない。その理由は、以下のとおりである。
第1 事案の概要
1 第1審判決が認定した犯罪事実の要旨
第1審判決が認定した犯罪事実の要旨は、次のとおりである。
C労働組合D支部(以下「D支部」という。)執行委員である被告人A(以下「被告人A」という。)及び同組合員である被告人B(以下「被告人B」という。)は、株式会社E(以下「E社」という。)取締役のF(当時58歳。以下「F」という。)を脅迫して、同社が日雇運転手であるD支部組合員のG(以下「G」という。)を雇用している旨の就労証明書を同社に作成・交付(以下、併せて「作成等」という。)させようなどと考え、共謀の上、平成29年11月27日午後3時30分頃、京都府木津川市a町所在のE社の事務所(以下、単に「事務所」という。)において、Fが高血圧緊急症によって体調不良を呈した後もなお、そのような状態のFに対し、同社がGを雇用している旨の就労証明書を作成等することを執ように求め、さらに、D支部執行委員であるH(以下「H」という。)と共謀の上、同月29日午後1時53分頃、同月30日午前9時37分頃、同日午後1時30分頃及び同年12月1日午後2時7分頃の合計4回にわたって事務所に押し掛け、Fに対し、同社がGを雇用している旨の就労証明書を作成等することを執ように求めた上、同月2日以降、事務所周辺にD支部組合員をたむろさせて同社従業員らの動静を監視させ、同月4日午後3時47分頃から同日午後4時38分頃までの間、被告人A及びHが事務所に押し掛け、Fに対し、被告人Aが「何が弁護士や、関係あらへんがな、書いてもらわなあかん。」「お前も何や、何ケチつけとんねん、うちの行動に。こらあ。おいっ。」「ほな解決せんかい。」などと怒号しながら、Fに示していた就労証明書の用紙を机にたたき付け、Hが「何をぬかしとんねん、われえ、おい、こらあ、ほんま。労働者の雇用責任もまともにやらんとやな。団体交渉も持たんと、法律違反ばっかりやりやがって。こら。こんなもんで何ぬかしとんねん、こら、われ、ほんま。」などと怒号して、Gを雇用している旨の就労証明書の作成等を要求し、もしこの要求に応じなければ、F及びその親族の身体、自由、財産等に危害を加えかねない旨の気勢を示して怖がらせ、もってFをして義務のないことを行わせようとしたが、Fがその要求に応じなかったため、その目的を遂げなかった。
2 本件審理の概要
(1) 第1審判決は、被告人両名について強要未遂罪の共同正犯を認定し、被告人Aを懲役1年、3年間執行猶予に、被告人Bを懲役8月、3年間執行猶予にそれぞれ処した。
これに対し、被告人両名が控訴し、事実誤認、法令適用の誤りを主張した。
(2) 原判決は、第1審判決が、強要未遂罪の解釈適用を誤り、ひいては事実を誤認したとして、被告人両名について第1審判決を破棄し、平成29年12月4日にHがFに対して怒号したことに関し、被告人Aについて脅迫罪の共同正犯を認定し、被告人Aを罰金30万円に処し、被告人Bに対して無罪を言い渡した。
3 本件の事実関係
第1審判決及び原判決の認定並びに記録によると、本件の事実関係は、次のとおりである。
(1) Gは、遅くとも平成24年1月頃から、E社の日雇運転手として、同社の指示に従い、ミキサー車に乗務して生コンクリートを運搬する業務等に従事し、同月頃から平成29年11月までの間、同社以外で稼働することはなかった。
Gは、妻も就労していたことから、子を京都府木津川市が設置する保育所に預け、平成25年以降平成28年まで、毎年、保育所の継続利用等のため保育の必要性を証する書類として、同社が作成等した就労証明書を同市に提出していた。
(2) GがD支部に加入した数か月後の平成29年10月16日(以下、月又は月日のみを記載しているものは、平成29年のそれを指す。)、被告人両名を含むD支部組合員は、事務所を訪問し、Gの処遇等について団体交渉の開催を申し入れるなどしたが、11月14日、Fは、被告人Aに対し、E社が近く自主廃業する予定である旨伝えた。
(3) 団体交渉の開催等についてD支部とE社との間で折衝が繰り返される一方、Gは、11月初め、翌年度の保育所の継続利用のため、Fの長男で同社の取締役であるI(以下「I」という。)に対し、「就労証明書(就労・育児休業)」と題する用紙(以下「本件用紙」という。)を交付して、同月29日が提出期限とされる就労証明書の作成等を求めた。しかし、同月21日頃、Fは、同社が平成29年一杯で廃業するから就労証明書は出せないとして、本件用紙をGに返還した。
同月22日、Gから就労証明書の件について相談を受けていた被告人Bは、木津川市役所を訪れ、同市健康福祉部こども宝課(以下「こども宝課」という。)職員から、現状において就労しているのであれば就労証明書が必要である旨説明を受け、同日午後、Hと共に事務所を訪れ、Iらに対し、就労証明書の作成等を求めた。
同日夕方、Fは、同課に電話をかけ、就労証明書につき、雇用関係はない、廃業予定であるなどと相談したが、同課職員から、廃業予定であっても現在就労しているのであれば就労を証明してほしい、なお、雇用関係がなくても、月64時間以上就労している場合は他の書類を提出してもらえれば、保育所の継続利用は可能である旨の回答を得た。
(4) 11月27日、被告人両名らは、5回にわたり事務所を訪れ、被告人両名を含むD支部組合員が事務所を訪れた同日午後3時5分頃の6回目の訪問において、被告人両名は、Fに対し、就労証明書の作成等を求めたが、Fは、就労証明書がなくてもGの子が保育所の利用を継続することは可能である旨木津川市役所の職員が述べていたなどと応じた。そこで、被告人Bは、その場でこども宝課に電話をかけ、同課職員が、年内で廃業する可能性のある会社であっても、現状においてその会社で働いている場合は、就労証明書が必要である旨言っていると述べ、Fにも確認するよう求め、Fも、同課に電話をかけ、同課職員から、廃業するとしても、現在就労しているのであれば就労を証明するよう言われた。その電話の最中である同日午後3時30分頃、Fは、高血圧緊急症を発症して体調不良となり、救急車を呼ぶように依頼した上で電話を切り、ぐったりとして、ほとんど声を発さなくなった。しかし、被告人両名は、救急車が到着した後も含め、約10分間にわたり、Fらに対し、「今までしゃべっとったやろ、もう。あかん、あかん、書いてや。奥さんほんまに。」「急にそんなん、なるわけない。」などと言い、Iが事務所の外に出るよう求めても退出しなかった。
(5) 11月28日、Gは、被告人Bと共にこども宝課を訪れ、就労証明書の作成等を拒まれているなどと相談し、同課職員の提案を受け、Gが作成した申立書をもって保育の必要性を証する書類とし、保育を必要とする事由を「就労」ではなく「その他」として保育所の継続利用の手続を進めることになった。同課としては、その後に就労証明書が提出されれば、保育を必要とする事由を「その他」から「就労」に変更して上記手続を進める姿勢であった。
(6) 被告人両名らは、11月29日、同月30日及び12月1日も事務所を訪問し、Fに対し、「在籍証明の話や。これはもう、何が何でも書いてもらいたい。」「毎日来られるのが嫌やったら、ちゃんと考え出してくださいよ。」「出す前提やないと、僕らは引けませんって。」などと言ったが、Fは、「市役所に言うたら、いや、いいですよって言ったはりましたよ。」「予定もないのに書いたら、うちが不正ですやんか、今後。」などと言い、同月4日に何らかの答えを出す旨述べた。
(7) 12月2日、被告人Bを含む10人近くのD支部組合員は、事務所の周辺にたむろし、E社の従業員らの動静を監視した。このような監視は、翌日以降も続いた。
(8) 12月4日、被告人A及びHが事務所を訪問すると、Fは、案件を全て弁護士に任せることにしたなどと告げたが、被告人Aは、机に置かれた本件用紙を指でたたきながら、「何が弁護士や、関係あらへんがな、書いてもらわなあかん。」と言った。
こうしたやり取りと並行して、被告人A及びHは、その場に同席していたE社の従業員がスマートフォンで自分たちを盗撮していると言い、同従業員及びFに対し、時に声を荒げて謝罪を要求し、Fがこれを拒む中、被告人Aは、机を挟んで同従業員のみならずFとも向かい合った状態で、「お前も何や、何ケチつけとんねん、うちの行動に。こらあ。おいっ。撮っとるがなお前。」と怒号し、「ケチつけていませんやん。」との同従業員の応答を受け、「ほな解決せんかい、これ。」などと怒号しながら、Fに示していた本件用紙を机にたたき付けるなどした。
その後、一旦事務所の外に出て戻った被告人Aは、警察が来ていることについてFに文句を言い、被告人A及びHは、Fに対し、盗撮したこと及び警察を呼んだことについて謝罪するよう求めた。そして、被告人Aは、そのやり取りの途中で再び事務所の外に出たが、出入口付近にいたところ、Hは、Fに対し、激しい巻き舌口調の大声で、「何をぬかしとんねん、われえ、おい、こらあ、ほんま。労働者の雇用責任もまともにやらんとやな。団体交渉も持たんと、法律違反ばっかりやりやがって。こら。こんなもんで何ぬかしとんねん、こら、われ、ほんま。謝れ言うとんねん、こっちは。謝罪せえ。」などと怒号した。その後、被告人Aは、事務所に戻り、Fに対し、就労証明書を作成等するつもりがないことを確認し、後で謝罪文をもらうなどと言い残し、Hと共に事務所を退出した。
第2 第1審判決及び原判決の要旨
1 第1審判決は、要旨、次のとおり説示して、被告人両名について強要未遂罪の共同正犯が成立するとした。
(1) E社には、Gを雇用している旨の就労証明書を作成等すべき法令上又は信義則上の義務はない。
(2) 11月27日、6回目の訪問時にFが体調不良を呈して以降、Fに対し、就労証明書の作成等を要求した行為は、Fが突発的に体調不良に陥っていることが明らかで、被告人両名は、そうした体調不良を認識していたはずであるのに、救急活動が開始されてからも就労証明書の作成等を執ように要求するなどし、要求に対して満足のいく回答がなければ、Fの身体、自由等に害悪が及ぶような状況においてもなお要求を継続する旨告知したものといえ、脅迫に該当する。同月29日から12月4日までの間、被告人両名らが、事務所を訪問し、就労証明書の作成等を要求した行為も、Fが就労証明書を作成等するつもりがないことを示しているにもかかわらず、ほぼ連日事務所を訪問し、中には約1時間事務所に滞在したものもあり、Fに対し、11月28日にG作成の申立書が保育の必要性を証する書類として受け付けられたことを秘して、就労証明書の作成等についてD支部側が満足する回答をしない限り、同様の訪問及び要求行為が続くことを発言や態度で示したものといえる。また、12月2日以降の監視行為の目的は、監視行為が開始されたのが、Fが就労証明書の作成等について何らかの答えを出すとした同月4日の2日前であったこと、監視行為に当たったD支部組合員の人数が10人近くに上り、E社の廃業の監視のためにしては人数が多すぎることなどに照らし、同社の廃業を監視することよりも、就労証明書の作成等についての要求を通すため、Fらに圧力をかけることにあったと認められる。このような11月29日から12月4日までの一連の行為も、被告人両名らが、Fに対し、継続的な訪問及び要求行為並びに監視行為をやめてほしければ、就労証明書を作成等するよう黙示的に害悪を告知したものといえ、脅迫に該当する。
(3) 被告人両名らが就労証明書の作成等を要求した行為等は、正当行為として違法性が阻却される余地はない。
2 これに対し、原判決は、要旨、次のとおり説示して、第1審判決が、強要未遂罪の解釈適用を誤り、ひいては事実を誤認し、それらの誤りが判決に影響することは明らかであるとして、第1審判決を破棄し、被告人Aについて脅迫罪の共同正犯が成立するとし、被告人Bに対して無罪を言い渡した。
(1) E社には、11月28日より後の期間を含め、Gを雇用している旨の就労証明書を作成等すべき少なくとも社会生活上の義務がある。
(2) 義務のあることの実行を求める場合でも、その手段として脅迫を用い、その態様等が社会的に相当な範囲を超えていれば、脅迫罪、更には、強要罪の成立を認めるべき場合がある。
11月27日、6回目の訪問時にFが体調不良を呈して以降、被告人両名が、Fに対し、就労証明書の作成等を要求した行為について、その体調不良の訴えは、こども宝課職員の説明により、E社が就労証明書の作成等を拒むことが困難になるという状況的に追い詰められた際の突然の出来事で、被告人両名が、Fの体調不良をにわかに信じられず、仮病を疑ったことには無理からぬ面があり、就労証明書の作成等を要求し続けたことも強く非難できず、救急搬送の妨害や暴言にも及んでいないから、脅迫に該当しない。同月29日から12月1日までの間、被告人両名らが、事務所を訪問し、Fに対して求めたのは、同社が就労証明書を作成等するかしないかの回答であり、Fが明確な回答をしなかったことが一因となって訪問の頻度や滞在時間が増えたものであって、その態様も、ひどい暴言等はないから、脅迫に該当しない。また、同月2日以降の監視行為の目的は、同社の廃業を監視することにあったということができ、就労証明書の作成等に向けた脅迫行為の一環とみることはできない。同月4日の被告人A及びHの各発言のうち、被告人Aが、多少感情的になって、Fに対し、引き続き就労証明書の作成等を要求したことは、同日までに就労証明書の作成等に応じるかの回答をする旨Fが述べていた経緯に照らし、やむを得ず、その態様も、声を荒げておらず、社会的に不相当なものであったとはいえない。これに対し、その後の被告人A及びHの各発言は、盗撮の疑念及び警察を呼んだこと自体やこれらに関するFの対応への怒り等を直接の契機としてなされたもので、就労証明書の作成等を強制する行為とは認められないが、その態様等に照らし、縮小認定として脅迫罪の成立を認める余地があるところ、被告人Aの各発言は、同社従業員に対するものであって、Fに対する害悪の告知に当たらないが、Hの発言は、Fに対し、Fやその親族の身体、自由、財産等に対し危害を加えかねない気勢を示したものと認められ、脅迫罪が成立する。被告人Aは、Hの害悪告知について暗に意思を通じていたものと認められ、脅迫罪の共同正犯の責任を免れない。他方、被告人Bは、同日、事務所の外にいたようであるが、Hの害悪告知が、就労証明書の作成等の要求とは直接関係のない上記の怒り等を契機としてなされたものであることなどからすれば、被告人Bに共謀を認めることはできない。
第3 当裁判所の判断
1 原判決は、第1審判決が、強要未遂罪の解釈適用を誤り、ひいては事実を誤認したと説示する。
2 前記第1の3(1)の事実関係によれば、E社は、日雇運転手として雇用していたGに対し、労働契約に付随する義務として、その子の保育所の継続利用のため、Gが令和元年法律第7号による改正前の子ども・子育て支援法22条に基づき京都府木津川市に提出する就労証明書を作成等すべき信義則上の義務を負っていたと認められる。そして、Gが作成した申立書がこども宝課によって受け付けられた11月28日以降も、同社が引き続き就労証明書を作成等すべき義務を負っていたことに変わりはない。原判決は、第1審判決が、刑法223条にいう「義務」の解釈を誤り、ひいては事実を誤認したとして、同社にはGを雇用している旨の就労証明書を作成等すべき社会生活上の義務があると説示するところ、この説示が、就労証明書を作成等すべき義務はないと認定した第1審判決が事実を誤認した旨をいうものと解すれば、同義務に関する第1審判決の事実認定の不合理性を指摘したものとして、その限度では是認することができる。
3 しかしながら、人に義務の履行を求める場合であっても、その手段として脅迫が用いられ、その脅迫が社会通念上受忍すべき限度を超える場合には、強要罪が成立し得るというべきであるから、原判決が、Gを雇用している旨の就労証明書を作成等すべきE社の義務の有無について、第1審判決が事実を誤認したことを指摘しただけで、前記第2の1(2)のとおり第1審判決が前提とするその余の事実関係について、第1審判決の認定が不合理であるかどうかを検討しないまま、強要未遂罪の成立を認めた第1審判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があるとしたことは、是認することができない。
そして、前記第2の2(2)の説示をもって、原判決が、第1審判決の事実認定が不合理であることを示したものと評価することができるかという観点からみても、そのように評価することはできない。すなわち、原判決は、11月27日の6回目の訪問時、被告人両名がFの仮病を疑ったことには無理からぬ面があるなどというが、仮病を疑ったとしても、体調不良の認識が直ちに排斥されるわけではないから、仮病を疑ったことを指摘することによって、被告人両名がFの体調不良を認識していたはずであるとした第1審判決の認定が不合理であることを十分に示しているとはいえない。また、原判決は、同月29日から12月1日までの間、被告人両名らがFに対して要求したのは、同社が就労証明書を作成等するかしないかの回答であって、Fはこの点について明確な回答をしなかったなどというが、前記第1の3(6)の被告人両名ら及びFの各発言の趣旨等について、被告人両名らは就労証明書の作成等を要求し、Fは作成等するつもりがないことを示していたとした第1審判決とは別の見方もあり得ることを指摘しているにすぎず、第1審判決の認定が不合理であることを示したものとはいえない。さらに、原判決は、同月2日以降の監視行為の目的を、同社の廃業を監視することにあったとするだけで、就労証明書の作成等に向けた圧力という併存し得る目的を認定した第1審判決を不合理であるとするだけの根拠を示しているとはいえない。加えて、原判決は、同月4日の被告人A及びHの各発言について、当初の被告人Aの発言を除き、就労証明書の作成等を強制する行為とは認められず、そのうち被告人Aの各発言は、Fに対する害悪の告知にも当たらないなどというが、被告人両名らが一貫してFに対して就労証明書の作成等を要求していたという経緯や各発言の内容、各発言の際の被告人AとFの位置関係等に照らし、被告人A及びHの各発言を、一連のものとして、当時同社において唯一就労証明書を作成等することができたFに対し、就労証明書の作成等を要求するものであるなどと判断したと解される第1審判決の不合理性を指摘できているとはいえない。
4 以上によれば、第1審判決が強要未遂罪の解釈適用を誤り、ひいては事実を誤認したと説示しつつ、第1審判決が前提とする事実のうち、就労証明書を作成等すべき義務の有無について事実の誤認を指摘しただけで、強要罪の成立を基礎付けるその余の事実関係について、その認定の不合理性を検討しないまま、強要未遂罪の成立を認めた第1審判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があるとした原判決は、第1審判決の事実認定が論理則、経験則等に照らして不合理であることを十分に示したものと評価することはできず(最高裁平成23年(あ)第757号同24年2月13日第一小法廷判決・刑集66巻4号482頁参照)、刑訴法382条の解釈適用を誤ったものというべきであり、この違法は判決に影響を及ぼすものであって、原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認められる。
よって、刑訴法411条1号により原判決を破棄し、同法413条本文に従い、本件を大阪高等裁判所に差し戻すこととし、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。」
本判例は、刑法上の論点である前者(①刑法223条の「義務」の意義及び強要罪の成否の判断方法)については、「……労働契約に付随する義務として……就労証明書を作成等すべき信義則上の義務を負っていたと認められる」とし、「人に義務の履行を求める場合であっても、その手段として脅迫が用いられ、その脅迫が社会通念上受忍すべき限度を超える場合には、強要罪が成立し得る」としました。
刑法233条の「義務」については、義務は法律上の義務に限られず目的手段を比較衡量し社会通念上の受忍の範囲を超えているかにより強要罪の構成要件該当性を判断しようとする説(開かれた構成要件説)と義務は法律上の義務に限られ法律上義務のないことを暴行脅迫を用いて脅迫した場合であっても社会的に相当であれば違法性が阻却されるとする説(法律上の義務限定説)があるとされます(本判例に関する調査官解説である法曹時報77巻10号2765頁参照)。
本判例の原審(大阪高裁令和7年4月17日令和5年(う)第850号:判例秘書L08020117)は前者の開かれた構成要件説に立っていますが、本判例はこの点についていずれの説に立つかを明言していません。本判例は、前者の見解に立った原審を破棄していることから、後者の法律上の義務限定説に親和的であるとの指摘があります(重要判例解説令和5年度刑法2事件解説1参照)。
法律上の義務限定説に立つとしても社会通念上受忍義務を超える場合に暴行罪や脅迫罪ではなく強要罪の成立を認めるとの見解に立つ場合には、開かれた構成要件説との差はほとんどないとされます(本判例に関する調査官解説である法曹時報77巻10巻2766頁から2767頁まで参照)。
本件は義務の履行を求める場合で義務があるとされたため、権利行使に関して脅迫がされた場合の処理が問題となりえます。この点に関し、最高裁昭和30年10月14日刑集9巻11号2173頁・刑法百選Ⅱ【8版】61事件は、他人に対して権利を有する者がそれを実行することは、その権利の範囲内であり、かつ、その方法が社会通念上受忍すべきものと認められる程度を超えない限り、何ら違法ではないが、その範囲程度を逸脱するときは違法となり、恐喝罪が成立し得るとしました。強要罪は、恐喝罪の一般法的性格を有するためこの判例法理が参考となります。この判例の事案(権利行使と恐喝)では違法性阻却レベルの問題であるのに対し、本判例の事案は構成要件該当性レベルの問題であることが異なります(重要判例解説令和5年度刑法2事件解説4参照)。
本判例は、刑訴法上の論点である後者(②原判決が「判決に影響を及ぼすことが明らか」な事実誤認があるとして第1審判決を破棄する場合に求められる事実誤認審査の在り方)については、最高裁平成24年2月13日刑集66巻4号482頁・刑訴百選【11版】99事件が「刑訴法は控訴審の性格を原則として事後審としており,控訴審は,第1審と同じ立場で事件そのものを審理するのではなく,当事者の訴訟活動を基礎として形成された第1審判決を対象とし,これに事後的な審査を加えるべきものである。第1審において,直接主義・口頭主義の原則が採られ,争点に関する証人を直接調べ,その際の証言態度等も踏まえて供述の信用性が判断され,それらを総合して事実認定が行われることが予定されていることに鑑みると,控訴審における事実誤認の審査は,第1審判決が行った証拠の信用性評価や証拠の総合判断が論理則,経験則等に照らして不合理といえるかという観点から行うべきものであって,刑訴法382条の事実誤認とは,第1審判決の事実認定が論理則,経験則等に照らして不合理であることをいうものと解するのが相当である。したがって,控訴審が第1審判決に事実誤認があるというためには,第1審判決の事実認定が論理則,経験則等に照らして不合理であることを具体的に示すことが必要であるというべきである。」としています(以下「平成24年判例」といいます。)。この平成24年判例は、論理則・経験則により判断するとし、心証では判断しないという現在の裁判実務の審査基準となっています(以上につき、重要判例解説令和5年度刑訴3事件解説1参照)。本判例は、この点に関し、犯罪の成立要件の解釈適用に誤りがあったとしても、事実誤認を理由として第1審判決を破棄するためには、控訴審はその事実誤認の不合理性を具体的に示さなければならないことを明確にするとともに、第1審判決は、行為時の状況、それまでの経緯、行為の態様等の事実関係から、被告人両名の行為が被害者に対する害悪の告知になっていて脅迫に当たるとして強要未遂罪の成立を認めたものなのに、控訴審は第1審判決の判断を基礎付ける事実関係の認定の不合理性を検討していないとしたものです。本判例は、不合理性の判断枠組みに一例を加えたものと評価できます(以上につき、重要判例解説令和5年度刑訴3事件解説3参照)。

