東京高裁令和5年11月28日令和5年(う)第301号・重要判例解説令和6年度刑法4事件・判例秘書L07820587(脅迫被告事件)

 本裁判例は、「殺害して天罰下る」、「自業自得。ご一家お揃いで奈落の底へどうぞ」などと記載した葉書の郵送したことが脅迫罪にあたるかが問題となりました。

 裁判例を一部引用します。

 「被告人は甲……を脅迫しようと考え……郵便ポストから……甲方宛てに、「殺害して天罰下る。自業自得。ご一家お揃いで奈落の底へどうぞ。」(本件文言)などと記載した本件葉書1枚を投函して郵送し……甲方に到達させ……甲に閲読させ、もって甲及びその親族の生命、身体に危害を加える旨を告知して脅迫した。」
 「本件の争点は、本件文言が甲に対する害悪の告知と評価できるか(脅迫行為該当性の有無)と、被告人にその点の認識があったといえるか(故意すなわち意味の認識の有無)である」
 ①本件文言の脅迫行為該当性について
 「甲はバイオリン講師であるところ、その演奏会に来た被告人と知り合い、被告人から楽譜等を受け取ったことがあった。被告人は令和3年7月頃から同年11月12日開催の本件演奏会までの間に、甲に対し、お金を借用したい、甲の助けがなければ次の年金時まで生きていることは無理である、一人の生命を救えば愛娘の乙の将来にも良いことがあるであろう、答えは黙殺、乙の将来に関して大事な話がある、などの旨を記載した信書を送付し、本件演奏会を訪れると甲に対し、大声で「Do you kill me or help me?」などと尋ねた。被告人は本件演奏会から本件葉書を送付するまでの間にも、I WILL KILL YOU ということですね、もし非業の死に至れば想定できないような災禍と悲劇が襲うであろう、被告人が非業の死を遂げたら、甲と家族が想定をはるかに超えた災難と悲劇に襲われるとの予言は必ず実現する、指定口座への振込みをお願いする、などの旨を記載した信書を送付した。」
 「脅迫の実行行為は、一般人にとって畏怖心を生じさせるに足りる程度の害悪を告知する行為であり、また、その告知内容の認識及び相手方の了知の予見があれば脅迫の故意としては足りるのであって、害悪を発生させる意図、認識は不要と解される。したがって、脅迫罪の成否を判断するに当たっては、まず当該行為が一般人にとって畏怖心を生じさせるに足りる程度の害悪の告知と認められるか否かを具体的事情も考慮して客観的に検討し、それが認められる場合に、行為者にその告知内容の認識があるか否かを検討すべきであり、その際、害悪を発生させる意図、認識の有無を検討する必要はない。」
 「本件文言を検討すると、一般人であれば、「殺害」「自業自得」「ご一家お揃いで奈落の底へどうぞ」との文言それ自体により、自身が生じさせた何らかの原因のため、家族ごと殺害されるかもしれないと畏怖するのが自然である。「殺害して天罰下る」との文言は、確かに日本語の文章として分かりにくいものの、一般人がこれを読めば、その厳密な意味内容を吟味しないまま、自身や家族が天罰として殺害される趣旨と理解することも自然というべきである。しかも本件では、甲はたびたび被告人から信書を送られたり、演奏会の会場に押し掛けられたりして金を無心され、これを無視した末に本件文言を告げられたのであるから、一般人が同様の立場に立てば、こうした自身の態度に腹を立てた被告人から殺害されるかもしれないと畏怖することも自然であり、現に甲も、原審及び当審公判廷で、被告人にお金を貸さなかったので天罰が下って私たち家族全員が被告人に殺害されると思った旨証言している。そうすると、被告人が本件葉書を郵送するまでの経緯等も考慮し、一般人の立場から客観的にみれば、本件行為は畏怖心を生じさせるに足りる程度の害悪の告知と認められ、脅迫に該当するというべきである。」
②故意の有無について
 「被告人の認識について検討すると、……本件文言の内容は一般人にとって畏怖心を生じさせるに足りる程度の害悪の告知と認められるのであり、これを自ら本件葉書に記載して甲に郵送した被告人に、その認識を妨げるような事情は見当たらない。この点、被告人は原審公判廷で、自身には甲やその家族に危害を加える意思はなかった、甲が自分を殺そうとしているというのが本件文言の意味である、本件文言を読んだ甲が危害を加えられると思うかどうかは、自分は甲ではないので分からないなどとしか述べておらず、前記の認識を妨げるような事情があるとはいえない。そうすると、被告人に脅迫の故意があったことは明らかである。」

 本裁判例で脅迫行為該当性が問題となったのは、「殺害して天罰下る。自業自得。ご一家お揃いで奈落の底へどうぞ。」(以下「本件文言」といいます。)などと記載した本件葉書1枚を投函して郵送し甲方に到達させ、被害者に本件文言を閲読させたことです。

 本件では、①本件文言が被害者に対する害悪の告知と評価できるか(脅迫行為該当性の有無)と、②被告人にその点の認識があったといえるか(故意すなわち意味の認識の有無)です。この点は原審と本裁判例とで争いはありません。

 本裁判例の事案の特徴は、まず、ⅰ被告人が被害者に閲読させた、被害者およびその親族(以下「被害者ら」といいます。)の生命、身体が害されることを告知する本件文言は、その中の「殺害」の主体と客体が明示されていないことから、「被害者が被告人を殺害するならば被害者らに天罰が下る」(原審)と、「被害者らは被告人に殺害されるという天罰を受ける」(本裁判例)のいずれにも解する余地があることも挙げられます(重要判例解説令和6年度刑法4事件解説1)。また、もう1つの特徴として、ⅱ被告人が被害者に対して告知した害悪の内容が、その文脈に照らして解釈すれば、被害者に対して「天罰」が下るという、被告人自身によってコントロールしえないものであったことです。すなわち、通常の脅迫の事案であれば、たとえば、「夜道に気を付けろよ」と述べるように、行為者にとってコントロール可能な害悪、この場合には「夜間、人気のないところで襲いかかる」という害悪を告知します。ところが、本件においては、天罰という、神しかコントロールしえない(それゆえ、当然、人間である被告人にはコントロールしえない)害悪が告知されているに過ぎないとみることができるという点です(本裁判例の評釈である判例時報2600号104頁)

 ①本件文言の脅迫行為該当性について、本裁判例は、「脅迫の実行行為は、一般人にとって畏怖心を生じさせるに足りる程度の害悪を告知する行為であり、また、その告知内容の認識及び相手方の了知の予見があれば脅迫の故意としては足りるのであって、害悪を発生させる意図、認識は不要と解される。したがって、脅迫罪の成否を判断するに当たっては、まず当該行為が一般人にとって畏怖心を生じさせるに足りる程度の害悪の告知と認められるか否かを具体的事情も考慮して客観的に検討し、それが認められる場合に、行為者にその告知内容の認識があるか否かを検討すべきであり、その際、害悪を発生させる意図、認識の有無を検討する必要はない。」と規範定立をします。脅迫罪は、大審院明治43年11月15日刑録16巻1937頁(令和8年度判例六法1806頁。刑法222条の1個目の判例。)によれば、刑法222条列記の法益に対して危害の至るべきことの通告によって成立し、必ずしも被通告者が畏怖の念を起こしたことは必要ないとされています。本裁判例も判例と同じ立場に立っています。脅迫罪は抽象的危険犯であるとするのが通説です(「基本刑法Ⅱ」〔第4版〕44頁)。

 本件のように、告知された文言のみでは直ちに脅迫と認め難い場合には、告知時の具体的状況を考慮に入れる必要が生じます。この点に関する判例として、最高裁昭和35年3月18日刑集14巻4号416頁・刑法百選Ⅱ【8版】11事件(以下「昭和35年判例」といいます。令和8年度判例六法1807頁。刑法222条の6個目の判例。)があります。昭和35年判例は、政治問題について村内の二派の抗争が熾烈になっている時期に、一方の派の中心人物宅に、現実の出火もないのに「出火御見舞申上げます、火の元に御用心」という趣旨の文言の葉書を差し出し配達させることは、脅迫に当たるとしました。具体的には、葉書の受信者がこのような文言を見れば、火をつけられるのではないかと畏怖するのが通常であるから、上記の趣旨の文言は、一般に人を畏怖させるに足る性質のものであると解し脅迫罪が成立するとしました。本件文言における「殺害して天罰下る」の意味も、告知当時の状況に照らして明らかにされる必要があります。

 原審は、被告人が本件以前に被害者に送付した手紙類の文面も考慮事情に入れ、そのいずれも、被害者が被告人に金銭的援助を行わなければ被告人が死ぬとの趣旨であり、被告人から被害者らへの加害を内容とするものはなかったことから、本件文言の合理的な解釈は、被害者が被告人を殺害すれば被害者らに天罰が下る、というものであるとしました。本裁判例は、「一般人であれば、「殺害」「自業自得」「ご一家お揃いで奈落の底へどうぞ」との文言それ自体により、自身が生じさせた何らかの原因のため、家族ごと殺害されるかもしれないと畏怖するのが自然である。「殺害して天罰下る」との文言は、確かに日本語の文章として分かりにくいものの、一般人がこれを読めば、その厳密な意味内容を吟味しないまま、自身や家族が天罰として殺害される趣旨と理解することも自然というべきである。しかも本件では、」被害者「はたびたび被告人から信書を送られたり、演奏会の会場に押し掛けられたりして金を無心され、これを無視した末に本件文言を告げられたのであるから、一般人が同様の立場に立てば、こうした自身の態度に腹を立てた被告人から殺害されるかもしれないと畏怖することも自然であり、現に」被害者「も、原審及び当審公判廷で、被告人にお金を貸さなかったので天罰が下って私たち家族全員が被告人に殺害されると思った旨証言している。そうすると、被告人が本件葉書を郵送するまでの経緯等も考慮し、一般人の立場から客観的にみれば、本件行為は畏怖心を生じさせるに足りる程度の害悪の告知と認められ、脅迫に該当するというべきである。」としました。

 本裁判例は、「天罰」を被害者らが被告人によって殺されることと解したため、脅迫行為該当性につき、問題なく害悪の告知であると認めることができます。しかし、原審は、本件文言中の「殺害」の主体を被害者、客体を被告人ととらえた結果、「天罰」が告知された唯一の害であるということになりました。そして、原審の解釈によれば、本件文言の語義に忠実に、被告人自身によってコントロールしえない人知を超えて下される報いを意味することになるため、その害悪性の評価が脅迫罪の成否を左右することになります。脅迫罪にとっては、告知者にとって支配可能な害悪が加えられるという印象を被害者に抱かせることが重要なので、第三者による加害でも告知者がそれに影響を与えうると思わせるならば本罪が成立するとするのが通説です。被告人自身または被告人が影響を与えうる第三者による加害の告知であるとして脅迫罪の成立が認められています(最高裁昭和27年7月25日刑集6巻7号941頁。令和8年度判例六法1807頁。刑法222条の11個目の判例。)。これに対して、日本共産党員が警察官らに対して、人民政府が組織されれば人民裁判にかけられ絞首台に上がらなければならなくなると告げた事案では、告知内容は被告人自身または被告人が影響を与えうる第三者による加害の告知と解することはできず単なる警告にすぎないとして脅迫罪の成立が否定されています(広島高松江支判昭和25年7月3日高刑集3巻2号247頁。令和8年度判例六法1807頁。刑法222条の12個目の裁判例。以上につき、「基本刑法Ⅱ」〔第4版〕45頁)。

 ②故意については、本裁判例は、本件文言の内容は一般人にとって畏怖心を生じさせるに足りる程度の害悪の告知と認められるのであり、これを自ら本件葉書に記載して被害者に郵送した被告人に、その認識を妨げるような事情は見当たらないとして認めています。

 本裁判例は、告知された文言の内容が一義的とはいえない場合における脅迫の成否の判断方法を示した一事例として、先例的価値を持ちうるとの指摘があります(重要判例解説令和6年度刑法4事件解説6)。