最高裁令和5年2月21日民集77巻2号273頁・憲法百選Ⅰ【8版】76事件(損害賠償請求事件・集会の自由と市庁舎前広場の使用不許可・金沢市庁舎前広場事件)
本判例は、市庁舎前広場の使用申請を不許可としたことが憲法21条1項に定める集会の自由の侵害になるかが争われた事件です。令和5年度最高裁判所判例解説民事篇67頁から68頁までによると以下のような事案です。
「本件は、上告人石川県憲法を守る会(以下「上告人守る会」という。)が、憲法(特に9条)を守るなどの目的で、金沢市長の管理に属する金沢市庁舎前広場(以下「本件広場」という。)において「憲法施行70周年集会」を開催するため、金沢市庁舎等管理規則(平成23年金沢市規則第55号。以下「本件規則」という。)6条1項所定の許可を申請したところ、同市長から、本件規則5条12号(特定の政策、主義又は意見に賛成し、又は反対する目的で個人又は団体で威力又は気勢を他に示す等の示威行為を禁止する趣旨の規定。以下「本件規定」という。)に該当し庁舎等の管理上支障があるなどとして不許可処分を受けたことについて、上告人守る会らが、被上告人に対し、国家賠償法1条1項に基づく損害賠償を求める事案である。
上告審において主に問題となったのは、本件広場における集会に係る行為に対し本件規定を適用することが憲法21条1項に違反するか否かである。
なお、本件広場は、被上告人の本庁舎に係る建物のすぐ北側に位置している、南北約60m、東西約50mの平らな広場であり、音楽祭等の行事のほか、上告人守る会自身による護憲集会を含め、集会が開催されたこともある。」
判例を引用します。
https://www.courts.go.jp/hanrei/91799/detail2/index.html
「上告人兼上告代理人岩淵正明ほかの上告理由について
第1 事案の概要
1 本件は、上告人石川県憲法を守る会(以下「上告人守る会」という。)が、金沢市長の管理に属する金沢市庁舎前広場(以下「本件広場」という。)において「憲法施行70周年集会」(以下「本件集会」という。)を開催するため、金沢市庁舎等管理規則(平成23年金沢市規則第55号。以下「本件規則」という。)6条1項所定の許可を申請したところ、同市長から不許可処分を受けたことについて、上告人守る会及びその関係者であるその余の上告人らが、被上告人に対し、国家賠償法1条1項に基づく損害賠償を求める事案である。
2 本件に関係する本件規則の定めは、次のとおりである。
本件規則は、庁舎等の管理に関し必要な事項を定めることにより、庁舎等の保全及び秩序の維持を図り、もって公務の円滑な遂行に資することをその目的とする旨規定した上で(1条)、本件規則において「庁舎等」とは、被上告人の事務又は事業の用に供する建物及びその附属施設並びにこれらの敷地(直接公共の用に供するものを除く。)で、金沢市長の管理に属するものをいう旨規定する(2条)。
本件規則5条は、何人も、庁舎等において、同条各号に掲げる行為をしてはならない旨規定しており、同条2号は、拡声器を使用する等けん騒な状態を作り出す行為を、同条3号は、旗、のぼり、プラカード、立看板等を持ち込む行為を、同条12号(以下「本件規定」という。)は、特定の政策、主義又は意見に賛成し、又は反対する目的で個人又は団体で威力又は気勢を他に示す等の示威行為を、同条14号は、同条1号から13号までに掲げるもののほか、庁舎管理者が庁舎等の管理上支障があると認める行為をそれぞれ掲げる。もっとも、本件規則6条1項は、庁舎管理者は、本件規則5条1号から7号までに掲げる行為について、被上告人の事務又は事業に密接に関連する等特別な理由があり、かつ、庁舎等の管理上特に支障がないと認めるときは、当該行為を許可することができる旨規定し、本件規則6条4項は、上記許可を受けようとする者は、あらかじめ所定の様式による申請書を提出しなければならない旨規定する。
3 原審の適法に確定した事実関係等の概要は、次のとおりである。
(1) 本件広場は、被上告人の本庁舎に係る建物の敷地の一部であり、当該建物のすぐ北側に位置している。また、本件広場は、壁や塀で囲われていない南北約60m、東西約50mの平らな広場であり、その北側及び東側は道路に接している。
本件広場においては、本件規則6条1項所定の許可がされた上で、国際交流団体の活動紹介を内容とする行事や音楽祭のほか、原水爆禁止を訴える趣旨の集会が開催されたことがある。上告人守る会自身も、令和元年11月及び同2年5月には、本件規定に該当する行為をしないことを前提として同項所定の許可を受けた上で、本件広場において、本件集会とは異なる規模、態様により、いわゆる護憲集会を開催している。
(2) 上告人守る会は、平成29年3月31日、憲法(特に9条)を守るなどの目的で本件広場において本件集会を開催するために、本件規則6条1項所定の許可を申請したところ、金沢市長は、同年4月14日、本件規定に該当し庁舎等の管理上の支障があるなどとして不許可処分をした。
第2 上告理由第3の2及び3について
1 本件規則5条14号は、庁舎等(本件規則にいう庁舎等をいう。以下同じ。)における禁止行為について、概括的に「庁舎等の管理上支障があると認める行為」と規定しているところ、本件規定は、その内容を具体的に定める趣旨の規定であると解される。そうすると、本件規定は、所定の目的による示威行為であって、これにより管理上の支障が生ずるものを掲げているものと解するのが相当である。そして、本件規定が「特定の政策、主義又は意見に賛成し、又は反対する目的」による示威行為を禁止していることに照らすと、上記管理上の支障とは、被上告人の公務の用に供される庁舎等において威力又は気勢を他に示すなどして特定の政策、主義又は意見(以下「政策等」という。)を訴える示威行為が行われることにより、被上告人について、外見上の政治的中立性が損なわれ公務の円滑な遂行(本件規則1条参照)が確保されなくなるとの支障をいうものと解すべきである。
2(1) 所論は、本件広場における集会に係る行為に対し本件規定を適用することが集会の自由を侵害し、憲法21条1項に違反する旨をいうものと解される。
(2)ア 憲法21条1項の保障する集会の自由は、民主主義社会における重要な基本的人権の一つとして特に尊重されなければならないものであるが、公共の福祉による必要かつ合理的な制限を受けることがあるのはいうまでもない。そして、このような自由に対する制限が必要かつ合理的なものとして是認されるかどうかは、制限が必要とされる程度と、制限される自由の内容及び性質、これに加えられる具体的制限の態様及び程度等を較量して決めるのが相当である(最高裁昭和61年(行ツ)第11号平成4年7月1日大法廷判決・民集46巻5号437頁等参照)。
イ 本件規定を含む本件規則は、金沢市長の庁舎管理権に基づき制定されているものであるところ、普通地方公共団体の庁舎(その建物の敷地を含む。以下同じ。)は、公務の用に供される過程において、住民等により利用される場面も想定され、そのことを踏まえた上で維持管理がされるべきものである。もっとも、普通地方公共団体の庁舎は、飽くまでも主に公務の用に供するための施設であって、その点において、主に一般公衆の共同使用に供するための施設である道路や公園等の施設とは異なる。
このような普通地方公共団体の庁舎の性格を踏まえ、上記アの観点から較量するに、公務の中核を担う庁舎等において、政治的な対立がみられる論点について集会等が開催され、威力又は気勢を他に示すなどして特定の政策等を訴える示威行為が行われると、金沢市長が庁舎等をそうした示威行為のための利用に供したという外形的な状況を通じて、あたかも被上告人が特定の立場の者を利しているかのような外観が生じ、これにより外見上の政治的中立性に疑義が生じて行政に対する住民の信頼が損なわれ、ひいては公務の円滑な遂行が確保されなくなるという支障が生じ得る。本件規定は、上記支障を生じさせないことを目的とするものであって、その目的は合理的であり正当である。
また、上記支障は庁舎等において上記のような示威行為が行われるという状況それ自体により生じ得る以上、当該示威行為を前提とした何らかの条件の付加や被上告人による事後的な弁明等の手段により、上記支障が生じないようにすることは性質上困難である。他方で、本件規定により禁止されるのは、飽くまでも公務の用に供される庁舎等において所定の示威行為を行うことに限定されているのであって、他の場所、特に、集会等の用に供することが本来の目的に含まれている公の施設(地方自治法244条1項、2項参照)等を利用することまで妨げられるものではないから、本件規定による集会の自由に対する制限の程度は限定的であるといえる。
ウ そして、本件規定を本件広場における集会に係る行為に対し適用する場合において上記イと別異に解すべき理由も見当たらないから、上記場合における集会の自由の制限は、必要かつ合理的な限度にとどまるものというべきである。
所論は、本件広場が集会等のための利用に適しており、現に本件広場において種々の集会等が開催されているなどの実情が存するなどというが、前記第1の3(1)のとおり、本件広場は被上告人の本庁舎に係る建物の付近に位置してこれと一体的に管理ないし利用されている以上、本件広場において、政治的な対立がみられる論点について集会等が開催され、威力又は気勢を他に示すなどして特定の政策等を訴える示威行為が行われた場合にも、金沢市長が庁舎等の一部である本件広場をそうした示威行為のための利用に供したという外形的な状況を通じて、あたかも被上告人が特定の立場の者を利しているかのような外観が生ずることに変わりはない。また、上記実情は、金沢市長が庁舎管理権の行使として、庁舎等の維持管理に支障がない範囲で住民等の利用を禁止していないということの結果であって、これにより庁舎等の一部としての本件広場の性格それ自体が変容するものではない。
(3) したがって、本件広場における集会に係る行為に対し本件規定を適用することが憲法21条1項に違反するものということはできない。
以上は、当裁判所大法廷判決(最高裁昭和27年(オ)第1150号同28年12月23日大法廷判決・民集7巻13号1561頁、前掲最高裁平成4年7月1日大法廷判決)の趣旨に徴して明らかというべきである。所論の引用する最高裁平成元年(オ)第762号同7年3月7日第三小法廷判決・民集49巻3号687頁は、事案を異にし、本件に適切でない。
3 そして、これまでに説示したところによれば、本件規定は、不明確なものとも、過度に広汎な規制であるともいえない。
4 以上の次第で、論旨は採用することができない。
第3 その余の上告理由について
論旨は、違憲をいうが、その実質は事実誤認又は単なる法令違反をいうものであって、民訴法312条1項及び2項に規定する事由のいずれにも該当しない。
よって、裁判官宇賀克也の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
裁判官宇賀克也の反対意見は、次のとおりである。
私は、多数意見の第2と意見を異にするので、私見を述べることとしたい。
1 上告人らの上告理由第3の2及び3について
(1) 本件広場が公共用物であることについて
多数意見は、本件広場が本件規則において庁舎等の一部に位置付けられているとの理解を前提として、本件を庁舎等の管理の問題として論じているが、私は、本件広場は公共用物であり、地方自治法244条2項にいう公の施設ないしこれに準ずる施設に当たるものと考える。その理由は次のとおりである。
ア(ア) 被上告人においては、昭和45年6月19日に「金沢市庁舎管理要綱」(以下「庁舎管理要綱」という。)が制定され、これによって金沢市長の管理する庁舎等の管理の大綱が定められたが、旧広場(平成29年3月21日に本件広場が供用開始されるのに先立って行われた改修工事の前の広場を指す。以下同じ。)が昭和58年7月1日に完成したため、庁舎管理要綱とは別に、旧広場の管理について、「金沢市庁舎前広場管理要綱」(以下「広場管理要綱」という。)が定められ、これに伴い、旧広場の管理については庁舎管理要綱の適用除外とする旨の規定が庁舎管理要綱に追加された。その結果、旧広場については、広場管理要綱に従い管理されることになった。
そして、広場管理要綱では、「庁舎前広場は、本市の事務又は事業の執行に支障のない範囲内で、原則として、午前8時から午後9時までの間、市民の利用に供させるものとする。」(3条)と定められた。このことは、旧広場を被上告人の事務又は事業の執行に支障のない範囲で市民の自由使用に供される広場として位置付ける趣旨であると解される。すなわち、旧広場は、被上告人の本庁舎に係る建物等(公用物)と区別された公共用物として一般の利用に供されたと考えられる。なお、広場管理要綱3条にいう「本市の事務又は事業の執行に支障」とは、旧広場を破壊ないし毀損したり、騒音・振動等により被上告人の事務又は事業の遂行に支障を与えたり、長時間にわたる独占的使用により旧広場を基本的に一般市民の自由使用に供するという目的に大きな支障が生じたり、集会参加者が多く隣接する道路に参加者が溢れ出て交通に支障を及ぼしたりするような場合を意味すると解するべきであろう。
(イ) その後、平成23年9月30日に本件規則が制定され、それに伴い庁舎管理要綱が廃止されたとうかがわれるが、本件規則には、旧広場を適用除外とする旨が明記されなかった。この点に関し、本件規則が従前の方針を変更し、旧広場にも、被上告人の本庁舎に係る建物等と同様に本件規則を適用する趣旨であったのであれば、本件規則制定時に庁舎管理要綱を廃止するのと併せて、広場管理要綱も廃止したと考えられる。しかし、広場管理要綱はそのまま存続したのであり、このことからすれば、旧広場は、被上告人の本庁舎に係る建物の敷地ではあるものの、直接公共の用に供するものに当たることとなって、本件規則による管理の対象である「庁舎等」から除かれることとなり(本件規則2条)、旧広場には、引き続き広場管理要綱が適用されていたと解すべきであろう。
(ウ) さらに、その後、旧広場の改修工事が平成27年度から開始され、改修工事の後の本件広場が同29年3月21日に供用開始され、同日に本件規則5条12号と6条1項が改正された。しかし、この改正は、従前の運用を明確にする趣旨のものであって、実質的な改正ではないものと解される。そして、本件規則2条は改正されていないので、上記改正後においても、同条の「庁舎等」には、「直接公共の用に供するもの」は含まれないと解すべきである。
しかるところ、本件広場は、従前以上に、市民の憩いの場として利用されることを目的として整備されたものであるとうかがわれる。実際に、本件広場においては、集会等のための許可使用も行われているのであり(多数意見第1の3(1)も参照)、このことは、本件規則が適用された場合に「旗、のぼり、プラカード、立看板等を持ち込む行為」が原則として禁止されること(本件規則5条3号)とは適合しない。
また、本件広場が、市庁舎「内」の広場ではなく、市庁舎「前」の広場であり、庁舎に隣接しているとはいえ、壁や塀で囲われているわけではなく、南北約60m、東西約50mの平らな空間であり、「広場」という名称であることからもうかがえるように、本件広場は、原判決がいうように来庁者及び職員の往来に供されることも予定された施設であるとはいえ、そのことを主たる目的とする施設であるとは考えられない。
こうしたことからすれば、本件広場が、公共用物としての性格を失ったなどとは到底いえない。
(エ) したがって、本件広場は、本件規則2条の「庁舎等」に含まれず、公の施設として地方自治法244条の規定の適用を受けるか、又は公の施設に準ずる施設として、同条の類推適用を受けると解すべきと考えられる。
なお、上記の判断を前提とすると、本来、被上告人は、本件広場の設置及び管理に関する条例を制定すべきであったということになるが(地方自治法244条の2第1項)、本件広場については、そのような条例は制定されていない。しかし、公の施設であるか否かは、設置者の主観的意思のみで定まるものではなく、当該施設の構造やその実際の利用状況も踏まえて判断されるべきであるから、上記のような条例が制定されていないことにより判断が左右されるべきものではない。
イ これに対し、原判決は、公用物と公共用物の二分法をとり、本件広場は、公用物である庁舎等の一部であるから、公共用物である公の施設に当たらない旨判示している。
しかし、ここでは、仮に本件広場が広い意味での庁舎に含まれるとしても、本件広場を公共用物と解することが可能であり、上記アの検討は左右されないことを指摘しておきたい。
そもそも、公用物と公共用物の区別は、常に截然とできるわけではない。一口に庁舎といっても、宮内庁の庁舎のように国民が訪れることがほとんどないものから、住民票の写しや戸籍の謄抄本などを発行する市区町村の出張所のように広く住民が利用するものまで様々である。また、公立学校は公共用物に分類されることが多いが、学校施設は、当該学校の生徒に対する教育のためのものであり、当該学校の教職員又は生徒以外の者が自由に利用できるわけではないので、道路や公園のように何人でも自由に利用できる公共用物とは性格を大きく異にする。このように、公用物や公共用物の性格にはグラデーションがあり、単純な二分法を解釈論上の道具概念として用いることには疑問がある。
さらに、公用物の場所や時間を限定して公共用物として利用することは広く行われるようになっている。例えば、庁舎に係る建物の最上階を展望室にして、一般に開放している例があるが、この場合の最上階は、公用物というより公共用物であろう。また、利用者の範囲が限定された公共用物を場所と時間を限定して一般に開放する取組も進められてきた。公立学校の施設についても、校庭を休日に限定して一般に開放することは珍しくなくなっているが、このような場合の休日における校庭は、公園と同じ機能を果たしているといってよい。この例のように、公用物や利用者の限定された公共用物であっても、空間的・時間的分割により、広く一般が利用可能な公共用物になることがあるのである。
本件広場を含めた(広義の)庁舎についても、本件広場に空間を限定し、かつ、休日等、騒音等により市の公務に支障を与えない範囲で公共用物としての利用が行われてきたとみることもできる。
以上のとおりであるから、公用物は公用物としてしか利用し得ないという論理は、行政の実態とも適合しておらず、本件広場の利用の実態等を十分に吟味せずに、本件広場への本件規則の適用を前提とすることには賛同し難い。
(2) 上記上告理由についての判断の結論
以上によれば、本件広場については、本件規則が適用される余地はないから、上記上告理由に係る論旨はその前提を欠くものであり、民訴法312条1項及び2項に規定する事由のいずれにも該当しない。
2 職権による検討
以上を前提とした上で、本件の事案に鑑み、更に進んで、職権により原判決を破棄すべき事由の有無につき検討する。
本件広場は、公の施設としての性格を有しており、集会のための使用は、その目的に沿った使用であるから、本件では、最高裁平成元年(オ)第762号同7年3月7日第三小法廷判決・民集49巻3号687頁(以下「泉佐野市民会館事件最高裁判決」という。)の基準に従って、地方自治法244条2項の「正当な理由」の存否が判断されるべきであったと考えられる。そこで、上告人守る会による本件規則6条1項所定の許可の申請に対して金沢市長が平成29年4月14日にした不許可処分(以下、本反対意見においては「本件不許可処分」という。)に関し、上記基準に照らして「正当な理由」があるという余地があるか否かについて検討する。なお、広場管理要綱が廃止された後は、本件広場の使用許可申請についての審査基準がない状態になっていると考えられるため、地方自治法244条2項の「正当な理由」の有無については個別事案ごとに判断するほかない。
泉佐野市民会館事件最高裁判決の判示を前提とすれば、公の施設における集会の不許可につき「正当な理由」が認められるためには、人の生命、身体又は財産が侵害され、公共の安全が損なわれる危険を回避し、防止することの必要性が集会の自由を保障することの重要性に優越している場合でなければならず、かつ、その危険性の程度としては、単に危険な事態を生ずる蓋然性があるというだけでは足りず、明らかに差し迫った危険の発生が具体的に予見されることが必要であると解すべきである。
上記申請は、平成29年5月3日12時から14時まで(集会は13時から13時半までの30分程度)、憲法施行70周年集会を約300人で行うことに係る許可を求めるものであった。約300人という人数が本件広場の収容能力を超えるとか、本件広場に物理的支障を与えるようなものとはいえず、人数面で不許可とする理由はないと考えられる。実際、被上告人からも、本件集会による物理的支障は全く主張されていない。また、本件集会が予定されていたのは祝日であるから、被上告人の執務に影響を与えることはない。
また、過去において、本件広場で特定の政策を主張する集会が許可されたことによって、被上告人に苦情・抗議が寄せられた実例があるという主張が被上告人からなされたわけではなく、本件集会を許可することに対する被上告人への苦情・抗議のおそれは、過去の実例に基づく具体的なものではない。
結局、本件広場を本件集会のために使用することを不許可にした理由は、もし本件集会を許可した場合、被上告人が本件集会の内容を支持している、あるいは本件集会を行う者を利しているなどと考える市民が、被上告人の中立性に疑問を持ち、被上告人に対して抗議をしたり、被上告人に非協力的な態度をとったりして、被上告人の事務又は事業に支障が生ずる抽象的なおそれがあるということに尽きる。しかし、次のとおり、そのような理由は、「正当な理由」には当たり得ないと考えられるから、本件不許可処分は違法であり、これと異なる原審の判断には地方自治法244条の解釈適用を誤った違法があり、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があるといわざるを得ないから、原判決は破棄を免れない。
(1) 一般職の公務員による法の執行に政治的中立性が要請されることは当然であるが、首長や議員は、特定の政策の実現を公約して選挙運動を行い当選しているのであり、市長や市議会議員が立案して実行する政策が政治的に中立であることはあり得ない。そして、市民の中には、様々な意見を持つ者がおり、被上告人の政策に不信感を持つ者も当然存在するはずであり、被上告人に対して抗議をしたり、被上告人に協力したくないと考えたりする者もいるかもしれないが、そのように被上告人の政策に批判的な市民が存在し、実際に被上告人の政策を批判すること自体は、民主主義国家として健全な現象といえ、それを否定的にとらえるべきではない。もとより、仮に、そのような市民の中に、常軌を逸した抗議を行ったり、被上告人の事務又は事業を妨害したりする者がいれば、民事訴訟を提起したり、不退去罪、威力業務妨害罪、公務執行妨害罪等に該当するとして公訴の提起を求めたりするなどの対応をとらざるを得ないことになるが、そのような極端な場合が抽象的にあり得ることを理由として、本件広場の使用を許可せず、集会の自由を制限することは、角を矯めて牛を殺すものといわざるを得ない。
(2) 被上告人が協賛したり後援したりする行事についても、被上告人の中立性に疑念を持ち、被上告人に対して苦情を申し立てたり、抗議したりする者がいる可能性は否めないところ、そのような可能性がある行為を被上告人は行うべきではないというのであれば、被上告人は行事の協賛・後援を一切行うべきではなく、また、集会の許可は一切すべきでないということになりかねないが、そのような結論が妥当でないことは当然であろう。このことは、不特定の者が被上告人の中立性に疑念を抱く可能性があるというような抽象的な理由による不許可処分が正当な理由を欠くといわざるを得ないことを示している。
(3) 市民会館のように公の施設であることが明らかな施設の使用を許可された上で行われる集会の場合であっても、被上告人が当該集会で発せられるメッセージを支援していると誤解して苦情を申し立てたり抗議をしたりする者が生ずる可能性は抽象的には存在するのであり、むしろ、壁も塀もなく屋外の道路とつながった本件広場よりも、被上告人の施設であることが明白な市民会館内の集会の方が、被上告人が支援しているという誤解が生じやすいといえなくもない。
しかし、公の施設であることが明白な市民会館における使用許可については、このような理由による不許可処分が地方自治法244条2項に違反し許されないことは、泉佐野市民会館事件最高裁判決や最高裁平成5年(オ)第1285号同8年3月15日第二小法廷判決・民集50巻3号549頁(上尾市福祉会館事件判決)の趣旨に照らして明らかであろう。
このことは、なぜ市民会館では到底認められないような不許可理由が、住民の自由使用に供され、集会のための許可も相当数認められてきた本件広場における集会に係る不許可理由たり得るのかという疑問を深めることになる。
3 予備的な見解
本件についての私見は以上のとおりであるが、念のために本件広場に本件規則が適用されるとの多数意見の理解を前提とした予備的な検討も加えておくと、上記理解を前提としても、いわゆるパブリック・フォーラム論に基づいた次の理由により、本件広場における集会に係る行為に対し本件規定を適用することは憲法21条1項に違反しており(多数意見の第2とは異なる結論となる。)、したがって本件規定を本件広場における集会に係る不許可理由として援用することはできないこととなる。そうすると、原審の判断には憲法の解釈適用を誤った違法があり、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違反があるといわざるを得ないから、原判決は破棄を免れない。
本件広場は、前述したような形状、位置及び利用の実態に鑑みれば、パブリック・フォーラムとしての実質を有するといえる。パブリック・フォーラムにおける集会でなされるおそれのある発言内容を理由に不許可にすることは言論の自由の事前抑制になるので、ヘイトスピーチを目的としたり、特定の個人に対する名誉毀損や侮辱という犯罪が行われたりする明白なおそれがある場合でなければ、原則として認められるべきではない。このように、集会の内容による規制を行う場合には、やむにやまれぬ利益が認められ、当該利益を達成するための手段が目的達成のために合理的に限定されていることが被上告人により立証されなければならない。しかるところ、本件規定が念頭に置いていると考えられるような抽象的な支障(多数意見第2の1参照)による不許可を認めれば、その時々の市長の政治信条次第で「見解による差別」を認めることになりかねないのであって、本件規定に該当することが立証されたとしても、やむにやまれぬ利益が被上告人により立証されているとはいい得ないと考えられる。現に、本件広場における集会のための許可申請に対する判断の状況(多数意見の第1の3(1)参照)からは、特定の政策等を訴える集会に対する許否の運用が一貫していないことがうかがわれるものといわざるを得ず、このことからは、上述したような「見解による差別」が生ずることが危惧されるところである。
そもそも、集会の自由は、情報を受ける市民の自律的判断への信頼を基礎として、様々な意見が自由に流通することにより、思想の自由市場が形成されることを期待するものである。市民の集会の内容について被上告人自身がその内容を協賛・後援していると誤解し、被上告人が説明を行ってもその誤解が解けず、被上告人に抗議をしたり、被上告人に非協力的になったりして、被上告人の事務又は事業に支障を生じさせるような市民を一般的市民として措定し、高度にパターナリスティックな規制を行うことにつき、憲法21条が保障する集会の自由に対する制約として正当化することは困難と思われる。
4 結語
以上に述べたとおり、本件広場が公の施設に該当するとの私見によっても、本件広場に本件規則が適用されるとの多数意見の理解を前提としても、原判決は破棄を免れない。そして、国家賠償法上の違法性及び損害額等について更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すのが相当である。」
原告・控訴人・上告人(以下「原告」と略します。)は、被告・被控訴人・被上告人(金沢市。以下「被告」と略します。)に対し、金沢市庁舎等管理規則(以下「本件規則」といいます。)6条1項所定の許可を申請しました。被告行政庁である金沢市長は、原告に対し、本件規則5条12号(特定の政策、主義又は意見に賛成し、又は反対する目的で個人又は団体で威力又は気勢を他に示す等の示威行為を禁止する趣旨の規定。以下「本件規定」といいます。)に該当し庁舎等の管理上支障があるなどとして不許可処分をしました。そこで、原告は被告に対し国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求を求めました。本判例では、金沢市庁舎前広場(以下「本件広場」といいます。)における集会に係る行為に対し本件規定を適用することが憲法21条1項に違反するか否かが主に争われました。
後述する通り、本件広場の法的性質が問題となりますので、本件広場について、本判例が原審の確定した事実として指摘する事項を抜粋します。
「本件広場は、被上告人の本庁舎に係る建物の敷地の一部であり、当該建物のすぐ北側に位置している。また、本件広場は、壁や塀で囲われていない南北約60m、東西約50mの平らな広場であり、その北側及び東側は道路に接している。
本件広場においては、本件規則6条1項所定の許可がされた上で、国際交流団体の活動紹介を内容とする行事や音楽祭のほか、原水爆禁止を訴える趣旨の集会が開催されたことがある。上告人守る会自身も、令和元年11月及び同2年5月には、本件規定に該当する行為をしないことを前提として同項所定の許可を受けた上で、本件広場において、本件集会とは異なる規模、態様により、いわゆる護憲集会を開催している。」
関連する法令は以下の通りです。
本判例では、本件広場が公用物と公共用物のいずれにあたるかという点が問題となりました。公共物とは、普通地方公共団体がその事務又は事業を執行するために直接使用することを本来の目的とする公有財産を指します。金沢市庁舎などの官公庁は公共物の典型例です。公共用物とは、住民の一般的共同使用に供することをその本来の目的とする公有財産を指します。道路、学校、公園等の敷地及び建物等が公共用物の典型例です。地方自治法244条1項の「公の施設」とは、住民の福祉を増進する目的をもって住民の利用に供するために普通地方公共団体が設ける施設をいいます。「公の施設」は人的な要素を含む概念ですが、その物的要素は、公共用物に属するものと解されています(本判例に関する調査官解説である令和5年度最高裁判所判例解説民事篇86頁注14参照)。本件広場が公用物であれば公共用物である公の施設に関する判例である最高裁平成7年3月7日民集49巻3号687頁・憲法百選Ⅰ【8版】75事件・泉佐野市民会館事件の判断枠組みは妥当しないという解釈に親和性があると解されます(宇賀反対意見は公共物と公共用物の二分論自体を批判しています。)。本件広場が(公共用物である)公の施設に該当しないとすれば、本件規則2条にいう「庁舎等」から除外される「直接公共の用に供する」敷地等には当たらない以上、本件広場は「庁舎等」に該当することとなり、地方自治法244条は適用されず(本件規則2条かっこ書き参照)、本件規定は本件広場についても適用されることになるという解釈につながりやすいといえます(本判例に関する調査官解説である令和5年度最高裁判所判例解説民事篇85頁注9参照)。詳細な公物論については他の解説に譲るとして、本記事では以上の整理をいったんは前提として解説をしていきます。
本件は、原審までの段階では、本件広場の性格をめぐって、本件広場が地方自治法244条にいう公の施設に該当するか否かが争われており、仮に公の施設に該当するとすれば、宇賀裁判官の反対意見でも前提とされているとおり、本件広場には本件規則は適用されないこととなり(本件規則2条かっこ書き参照)、むしろ、法律上、正当な理由が存する場合のほか、利用拒否は許されないこととなります(地方自治法244条2項)。この点については、1審・原審とも、本件広場は公用物である金沢市庁舎の一部であるとして、公の施設には該当しないとの判断を示したのに対し、宇賀裁判官の反対意見は、公の施設に該当することを前提としています。本判例は、本件広場が公の施設に該当するか否か及びその理由につき明示的に言及していませんが、本件規則が本件広場にも適用されることを前提としなければ意味を成さない憲法上の主張を正面から取り上げていることからすれば、1審・原審と同様の理解、すなわち、本件広場は公用物である金沢市庁舎の一部であるとして、公の施設には該当しない(本件には本件規則が適用される)という理解を前提としていると考えられます。
本件規定により禁止される示威行為は、本件集会のように、特定の政策等に対する賛否を明らかにする趣旨で聞かれる集会の少なくとも一部を包含するものと考えられ、憲法21条1項の集会の自由との関係が検討されるべきこととなります。集会の自由に関しては、徳島市公安条例事件(最大判昭和50年9月10日刑集29巻8号489頁・憲法百選Ⅰ【8版】78事件)において、(道路その他公共の場所における集団行進等の)「集団行動は、通常、一般大衆又は当局に訴えようとする政治、経済、労働問題、世界観等に関する思想、主張等の表現を含むものであり、表現の自由として憲法上保障されるべき要素を有する」と判示されており、また、いわゆる成田新法事件(最大判平成4年7月1日民集46巻5号437頁・憲法百選Ⅱ【8版】104事件)においては、「現代民主主義社会においては、集会は、国民が様々な意見や情報等に接することにより事故の思想や人格を形成、発展させ、また、相互に違憲や情報等を伝達、交流する場として必要であり、さらに、対外的に意見を表明するための有効な手段」であり、「重要な基本的人権の一つとして特に尊重されなければならない」と判示されています(以上につき本判例に関する調査官解説である令和5年度最高裁判所判例解説民事篇75頁)。
本判例は、本件広場で本件集会をすることを規制する本件規定が集会の自由(憲法21条1項)の保護範囲に入り、制約もあることを前提として、①本件規定の憲法適合性に関する判断と②本件規定を本件広場における集会に係る行為に対し適用することの憲法適合性に関する判断をしています。精読憲法判例appendix2・4頁注❺には、「上告人守る会の集会は本件では不許可となったものの、示威行為を行わないよう集会の態様を変えたことで護憲集会を開催できていた……。その点に鑑みれば、本件規則や本件不許可処分は、集会の「態様」に対する規制にすぎず、集会そのものに対する規制とはいえないことになる。」との指摘があります。すなわち、集会の自由への制約の程度は低いということとなります。本判決も前提とした第1審判決によれば、本件規定により制限される集会は、すべての集会ではなく、威力または気勢を他に示す程度に達する場合の示威行為に該当する集会に限られるとしています(精読憲法判例appendix2・4頁注❼)。
違憲審査基準(正当化基準)について、最高裁大法廷平成4年7月1日民集46巻5号437頁・憲法百選Ⅱ【8版】104事件・成田新法事件を引用し、「憲法21条1項の保障する集会の自由は、民主主義社会における重要な基本的人権の一つとして特に尊重されなければならないものであるが、公共の福祉による必要かつ合理的な制限を受けることがあるのはいうまでもない。そして、このような自由に対する制限が必要かつ合理的なものとして是認されるかどうかは、制限が必要とされる程度と、制限される自由の内容及び性質、これに加えられる具体的制限の態様及び程度等を較量して決めるのが相当である」と規範定立しました。法廷意見は泉佐野市民会館事件のように厳格審査基準の内容を取り込んだ利益衡量をするという判断はしていません。その理由として、ⅰ泉佐野市民会館事件の事案のように、他者の基本的人権が侵害されるなどの危険が問題となる場合には、明白かつ現在の危険の法理のような考え方が妥当しやすいように思われますが、本件のような場合には、泉佐野市民会館事件において施設の利用を拒否し得る別の類型として挙げられている、「施設としての使命を十分達成せしめる」との点からみて利用を不相当とする事由がある場合に当たるか否かが主に問題となると解され、その意味で、泉佐野市民会館事件の直接の射程が及ぶとは解し難いという点が挙げられます。次に、ⅱ泉佐野市民会館事件で問題となった公の施設については、一般人に自由利用を認めることが原則と位置付けられており、施設の性格上、集会に伴う利用を制約し得るのは例外的な場合に限られるべきことから、管理権と集会の自由との利益較量の文脈においても、集会の自由への制約を例外的なものとして明確に位置付ける厳格な基準との親和性が高くなりやすいといい得ます。これに対し、庁舎の場合には、飽くまでも公務の遂行のための施設であって、住民等の一般人に広く利用されることがあるにしても、それは飽くまでも公務の遂行の目的に用いられる過程において支障がない範囲内にとどまることから、厳格な基準と当然に親和的とはいい難いです。なお、このような性格の相違は、具体的な法令の定めによらなければ導き得ないものというよりも、各施設がどのような性格の施設として設けられているかということに由来するより根源的なものであるからこそ、憲法判断の上でも前提とされるべきものと解されます(以上につき本判例に関する調査官解説である令和5年度最高裁判所判例解説民事篇76頁から77頁まで参照)。宇賀反対意見は、本件広場の利用の実態等に照らし、いわゆるパブリック・フォーラム論に従って泉佐野市民会館事件の示した厳格な違憲審査基準(明白かつ現在の危険の基準)を用いて違憲審査をすべきであるから、本件広場における集会に係る行為に対し本件規定を適用することは憲法21条1項に違反するとします。
本件規定は表現の内容規制の典型ともいえ、内容規制に関しては厳格な違憲審査基準が適用されるとするのが学説ですが、本判例に関する調査官解説である令和5年度最高裁判所判例解説民事篇76頁には「違憲審査基準に関し、講学上は、精神的自由権については厳格な基準による一方、経済的自由権についてはより緩やかな基準によるとする「二重の基準論」(芦部信喜=高橋和之・憲法〔第八版〕211~212頁)や、表現の自由に対する規制の中で、内容に着目しないものよりも内容に着目したものにつきより厳格な基準を用いるとする「内容規制・内容中立規制二分論」が提唱されているところであるが(芦部=髙橋・前掲・213~216頁)、最高裁判例において、このような類型化がそのまま採用されているわけではない(例えば、精神的自由権について常に厳格な基準が用いられているわけではないことを指摘したものとして、高橋和之編・新・判例ハンドブック憲法〔第2版〕・149頁〔曽我部真裕〕)。これは、対象となる人権の類型や、内容規制であるか否かにより、規制の在り方が一律に規定されるものではなく、特に後者については区別すること自体に学説上も異論があるとされていること(芦部=髙橋・前掲・212~213頁)から、事案に応じて柔軟に対処していくことを要すると考えられているためであろうと思われる。」との指摘があり、同87頁注22には「本件に関しても、本件規定による規制が内容規制といえるか否かが議論されているが、その議論により判断枠組みが直接左右されるものではないと思われる。なお、原審は、本件が内容規制に当たらないことを当然の前提とするようであるが、特定の政策等を主張するか否かは、単なる表現行為の態様にとどまらない内容の問題にわたるとみるのが自然であり、本件規定が内容規制の要素を全く含まないとみるのは無理があるように思われる。」との指摘があります。本判例は、本件規定が内容規制の要素を含むとしたうえで、それは審査基準を変更するまでの要素ではないと位置付けていると理解することが可能であると思われます。内容規制と内容中立規制を分けること自体が困難であり相当ではないという本判例(最高裁調査官)の立場からするとそのような理解が自然でしょう。
①本件規定の憲法適合性について、違憲審査基準(成田新法事件の利益衡量論)へのあてはめについては、㋐目的の正当性と㋑手段の合理性の観点からされています。
まず、㋐本件規定の目的の正当性について、「普通地方公共団体の庁舎は、飽くまでも主に公務の用に供するための施設であって、その点において、主に一般公衆の共同使用に供するための施設である道路や公園等の施設とは異なる」(金沢市庁舎は公共用物ではなく公用物)とし、「公務の中核を担う庁舎等において、政治的な対立がみられる論点について集会等が開催され、威力又は気勢を他に示すなどして特定の政策等を訴える示威行為が行われると、金沢市長が庁舎等をそうした示威行為のための利用に供したという外形的な状況を通じて、あたかも被上告人が特定の立場の者を利しているかのような外観が生じ、これにより外見上の政治的中立性に疑義が生じて行政に対する住民の信頼が損なわれ、ひいては公務の円滑な遂行が確保されなくなるという支障が生じ得る。本件規定は、上記支障を生じさせないことを目的とするものであって、その目的は合理的であり正当である」としました。
宇賀反対意見は、泉佐野市民会館事件の明白かつ現在の危険の基準へのあてはめを行い、「本件広場は、前述したような形状、位置及び利用の実態に鑑みれば、パブリック・フォーラムとしての実質を有するといえる。パブリック・フォーラムにおける集会でなされるおそれのある発言内容を理由に不許可にすることは言論の自由の事前抑制になるので、ヘイトスピーチを目的としたり、特定の個人に対する名誉毀損や侮辱という犯罪が行われたりする明白なおそれがある場合でなければ、原則として認められるべきではない。このように、集会の内容による規制を行う場合には、やむにやまれぬ利益が認められ、当該利益を達成するための手段が目的達成のために合理的に限定されていることが被上告人により立証されなければならない。」とし、本件規定の目的の正当性に疑問を示しています。法廷意見が指摘する「支障は抽象的すぎるものであり、協賛・後援を安易に誤解し、抗議等により行政の業務に支障をきたすような市民を一般的市民として位置づけることを前提とした(上記の法廷意見の)論証は、説得力に乏しい。すべての者に示威行為を認めた場合、それは特定の者を利するのではなく、「すべての者」を利することになるからである。市民はそのことを認識したうえで行動することが民主主義国家に生きる市民として本来的に望まれている。」との指摘もあります(精読憲法判例appendix2・4頁注❿)。
この宇賀反対意見に対しては、「ⅰ公園や市民会館等の公の施設は、庁舎のように公務の中核を担う施設であるとはいい難いから、その利用状況が公務の円滑な遂行への信頼に関わる度合いには庁舎との間に相違があるように思われる上、ⅱそもそも公の施設については、一般人に自由利用させるのが原則であるところ、このことは、逆にいえば、普通地方公共団体が利用を認めたとしても、それが特にある立場の者を利しているとの外観には結び付き難いことを意味しているように思われ、前提状況が、庁舎の場合とは異なっている。」「本判決における宇賀裁判官の反対意見は、被上告人が行事を後援ないし協賛する場合について触れているが、そのように普通地方公共団体自らが積極的に行事の開催に関わり、当該行事を後押ししているという外観をも自ら作り出している場合と、本件のように単に場所の利用を認める場合とは区別して論ずる余地があるように思われる」(本判例に関する調査官解説である令和5年度裁判所判例解説民事篇71頁から72頁まで)との調査官の指摘(再反論)があります。
次に、㋑本件規定の手段の合理性について、「示威行為を前提とした何らかの条件の付加や被上告人による事後的な弁明等の手段により、上記支障が生じないようにすることは性質上困難である」として代替的伝達手段(LRA)はないとし、「他の場所、特に、集会等の用に供することが本来の目的に含まれている公の施設(地方自治法244条1項、2項参照)等を利用することまで妨げられるものではないから、本件規定による集会の自由に対する制限の程度は限定的である」として代替的伝達経路もあるとしています。このように代替的伝達経路もあるとすれば、本件規定により、様々な意見が自由に流通することを通じて思想の自由市場が形成されることが妨げられる程度(宇賀反対意見参照)が大きいともいい難いといえるとの指摘があります(本判例に関する調査官解説である令和5年度裁判所判例解説民事篇80頁参照)。
以上は、①本件規定の憲法適合性に関する判断です。以下は、②本件規定を本件広場における集会に係る行為に対し適用することの憲法適合性に関する判断です。
本判例は、本件広場は公用物である庁舎そのものではないものの、「本件規定を本件広場における集会に係る行為に対し適用する場合において」公共物である金沢市庁舎における場合と「別異に解すべき理由も見当たらない」として、本件規定を本件広場における集会に係る行為に対して適用しても「集会の自由の制限は、必要かつ合理的な限度にとどまるものというべきである」としました。
これは、いわゆるパブリック・フォーラム論をも意識しつつ、上記事情を前提としても、庁舎管理権の行使として、維持管理に支障がない範囲で利用が認められてきたことを意味するにとどまり、本件広場の性格そのものは変容しないことから、本判決の立場からは結論を左右する事情とならない旨を判示したものと解されます。実際にも、本件のように、庁舎の一部につき、柔軟な利用を認めてきたがゆえに、本来的に庁舎に妥当するよりも厳しい審査基準が妥当することになって利用制限の余地が狭まってしまうということになると、かえって、普通地方公共団体において柔軟に利用を認めることを萎縮させてしまうおそれが出てくるように思われます。
以上のように解することについては、普通地方公共団体がある施設をどのような性格の場として設定するかによって、集会の自由との間での利益較量の在り方が決定的に異なってくる余地が生ずることとなり、普通地方公共団体の意向で憲法判断が左右されることとなって不当ではないかとの指摘も想定されます。しかしながら、一般に、憲法上の集会の自由は、公園等の場所の設置や提供を請求する積極的な権利を内容とするものではないとされているから(阪本昌成・憲法理論Ⅲ・157頁、工藤達朗・集会の自由と市民会館の使用不許可処分・新判例マニュアル憲法Ⅱ・50頁)、公の施設として設けられた場所ではないにもかかわらず、公の施設と同様に扱わなければならないような趣旨の法的制約を課すことを、集会の自由を根拠に導くことは困難であるといわざるを得ません(以上につき本判例に関する調査官解説である令和5年度裁判所判例解説民事篇81頁)。
本判例は、庁舎管理権と集会の自由との利益較量の在り方に関し、本件広場における集会に係る行為に対する適用の限度においてとはいえ、最高裁が初めての憲法判断(法理判断)を示したものであり、理論的にも実務的にも重要な意義を有するとの最高裁調査官の指摘があります(本判例に関する調査官解説である令和5年度裁判所判例解説民事篇81頁から82頁まで)。

