仙台高裁令和5年12月5日令和4年(ネ)第80号・判例秘書L07820420・憲法百選Ⅱ【8版】164事件(各損害賠償請求控訴事件・安保法制の合憲性)
本裁判例は、①閣議決定による憲法解釈の変更と平和安全法制について、憲法の平和主義の理念や憲法9条の戦争放棄の規定に反する違憲性が明白であれば、明白な憲法違反の行為によって平和が脅かされた場合における国民の生命・身体の安全に対する危険が重大かつ回復不能なものとなることも踏まえ、具体的な政府の行為による結果の発生を確実に予測できない場合でも、侵害行為の態様と侵害される利益の性質を相関的に考慮して、違法な権利利益の侵害になり得ると解するのが、国家賠償法1条1項の違法性の判断の在り方として相当であること、②平成26年閣議決定による武力の行使の新3要件における限定的な要件や、その厳格かつ限定的な解釈を示した政府の国会答弁も踏まえて検討すると、平成26年閣議決定や平和安全法制によって、それまで政府の憲法解釈において一貫して許されないと解されてきた集団的自衛権の行使が、このような限定的な場合に限り憲法上容認されると解されることになったとしても、憲法9条1項の規定や憲法の平和主義の理念に明白に違反し、違憲性が明白であると断定することまではできないとした裁判例です。
裁判例を一部引用します。
「第3 当裁判所の判断
1 集団的自衛権と憲法との関係についての政府の憲法解釈の変更
(1) 従来の政府の憲法解釈
日本国憲法は、日本国民が「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」て憲法を確定したものであり(前文第1段)、平和的生存権について、「全世界の国民が、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」(前文第2段)と述べた上で、戦争の放棄につき、9条1項において、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と定め、憲法13条1項は、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と定めた。
憲法9条の下において認められる自衛権の発動としての武力の行使については、政府は、従来から、下記の3要件に該当する場合に限られると解してきた。
① 我が国に対する急迫不正の侵害があること
② これを排除するために他の適当な方法がないこと
③ 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
この政府解釈は、憲法は、9条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において「全世界の国民が平和のうちに生存する権利を有する」ことを確認し、また、13条において「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、国政の上で、最大の尊重を必要とする」旨を定めていることからも、我が国が自らの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであって、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとは到底解されないという政府の憲法解釈に基づくものであった。
集団的自衛権と憲法との関係について、昭和47年政府見解(別紙2)は、この武力の行使の3要件に照らして、憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、我が国に対する急迫不正の侵害に対処する場合に限られるから、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とする集団的自衛権の行使は、憲法上許されないと解釈したものであり、政府の確定的な憲法解釈を示したものである。
(2) 平成26年閣議決定による集団的自衛権行使の容認
平成26年閣議決定(別紙3)は、「パワーバランスの変化や技術革新の急速な進展、大量破壊兵器などの脅威等により我が国を取り巻く安全保障環境が根本的に変容し、変化し続けている状況を踏まえれば、今後他国に対して発生する武力攻撃であったとしても、その目的、規模、態様等によっては、我が国の存立を脅かすことも現実に起こり得る。」という問題意識の下に、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきである」と判断し、憲法上許される武力の行使についての従来の政府解釈の3要件の①、②を改めて、以下のとおり、武力の行使の新しい3要件(新3要件)を示した。
① 我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること
② これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと
③ 必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
憲法上許容されると判断した新3要件による「武力の行使」と集団的自衛権との関係については、国際法上の根拠と憲法解釈は区別して理解する必要があり、憲法上許容される上記の「武力の行使」は、国際法上は、集団的自衛権が根拠となる場合がある、この「武力の行使」には、他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とするものが含まれるが、憲法上は、あくまでも我が国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち、我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として初めて許容されるものであるという憲法解釈を示した。
2 新3要件と憲法及び集団的自衛権との関係についての政府の国会答弁
(1) 内閣総理大臣の国会答弁
内閣総理大臣は、平成26年閣議決定において新3要件を満たす武力の行使が憲法上許容されると判断するに至った理由、集団的自衛権に関する従来の政府見解との整合性につき、平成26年7月14日の衆議院予算委員会において、次のとおり答弁した(別紙6予算委員会会議録(甲A7)3頁)。
① 平成26年閣議決定により憲法上許容されると判断するに至った武力の行使は、新3要件を満たす場合に限定されており、あくまでも、我が国の存立を全うし、国民を守るためのやむを得ない自衛の措置に限られている。
② 新3要件に照らせば、我が国がとり得る措置には当然おのずから限界があり、国連憲章において各国に行使が認められているのと同様の集団的自衛権の行使が憲法上許容されるわけではない。
③ 新3要件は、我が国を取り巻く安全保障環境が客観的に大きく変化をし、一層厳しさを増しているという現実を踏まえて、従来の憲法解釈との法理的整合性と法的安定性を維持し、従来の政府見解(昭和47年政府見解)における憲法9条の解釈の基本的な論理を何ら変更することなく、国民の命と平和な暮らしを守り抜くために合理的な当てはめの結果として導き出されたものである。世界各国と同様の集団的自衛権の行使を認めるなど、憲法9条の解釈に関する従来の政府見解の基本的な論理を超えて武力の行使が認められるとするような解釈を現憲法のもとで採用することは困難であり、その場合には、憲法改正が必要になる。
(2) 内閣法制局長官の国会答弁
内閣法制局長官は、同予算委員会において、新3要件の解釈につき、次のとおり答弁した(同会議録7、8頁)。
① 新3要件は、昭和47年政府見解における基本論理を維持し、その考え方を前提としたものであり、第1要件の「他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」という部分は、昭和47年政府見解の「外国の武力攻撃によって国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態」に対応するものである。これまで、我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみが、昭和47年政府見解にいう「外国の武力攻撃によって国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態」に当たると解してきたことを踏まえると、第1要件の「他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」とは、他国に対する武力攻撃が発生した場合において、そのままでは、すなわち、その状況の下、国家としてのまさに究極の手段である武力を用いた対処をしなければ、国民に、我が国が武力攻撃を受けた場合と同様な深刻、重大な被害が及ぶことが明らかな状況であることをいうものと解される。
② 第1要件に該当するかどうかについては、実際に他国に対する武力攻撃が発生した場合において、事態の個別具体的な状況に即して、主に攻撃国の意思、能力、事態の発生場所、その規模、態様、推移などの要素を総合的に考慮し、我が国に戦禍が及ぶ蓋然性、国民がこうむることとなる犠牲の深刻性、重大性などから客観的、合理的に判断することになる。明白な危険というのは、その危険が明白であること、すなわち、単なる主観的な判断や推測等ではなく、客観的かつ合理的に疑いなく認められるというものであることと解される。
③ 第2要件の「これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと」は、第1要件で他国に対する武力攻撃の発生を契機とするものが加わったことから、従来の3要件では単に、「これを排除するために他の適当な手段がないこと」としていたのを改め、「これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと」とし、他国に対する武力攻撃の発生を契機とする武力の行使についても、あくまでも我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置に限られ、当該他国に対する武力攻撃の排除それ自体を目的とするものではないということを明らかにしている。
④ 平成26年閣議決定は、国際法上、集団的自衛権の行使が認められる場合の全てについてその行使を認めるものではなく、新3要件のもと、あくまでも我が国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として、一部限定された場合において、他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とする武力の行使を認めるにとどまるものである。このような、我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置としての武力の行使は、「国際法上は、集団的自衛権が根拠となる場合がある」ということである。しかしながら、それ以外の、自国防衛と重ならない、他国防衛のために武力を行使することができる権利として観念される、いわゆる集団的自衛権の行使を認めるものではない。
⑤ 平成26年閣議決定は、平和主義を具体化した規定である憲法9条の下でも、極限的な場合に限っては例外的に自衛のための武力の行使が許されるという昭和47年政府見解の基本論理を維持し、その考え方を前提としたものである。その意味で、これまでの憲法9条をめぐる議論と整合する合理的な解釈の範囲内のものであり、憲法の基本原則である平和主義をいささかも変更するものではない。
3 集団的自衛権行使容認の違憲性に関する長谷部教授の意見
集団的自衛権行使容認の違憲性と国家賠償法1条1項の違法性に関する憲法学者長谷部恭男教授の意見は、別紙7意見書のとおりであり、要旨次のとおりである(甲B111の1、甲B115、長谷部証人)。
憲法9条の下で武力行使が許されるのは、個別的自衛権の行使、すなわち日本に対する急迫不正の侵害があり、これを排除するために他の適当な手段がない場合であって、しかもそれも必要最小限度の実力行使に限られるとの政府の憲法解釈は、自衛隊創設以来、平成26年閣議決定に至るまで変わることなく維持されてきた。集団的自衛権の行使は典型的な違憲行為であり、憲法9条を改正することなくしてはあり得ないことも、繰り返し政府によって表明されてきた。
憲法の基本的役割の一つは、政府の活動し得る範囲を明確に示すことによって、恣意的な権力行使のリスクを抑止し、国民の基本権を保障するとともに社会全体の中長期的な利益(公共の福祉)が侵害されるリスクを極小化することにある。憲法の条文自体が政府の活動範囲を明確に示さないときは、有権解釈がその間隙を埋める。憲法の有権解釈は憲法典そのものと同様、一体として憲法の内容を構成する。憲法9条に関して、内閣法制局を中心として政府が示してきた有権解釈は、その意味で憲法の内容を構成している。
平成26年閣議決定は、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、「これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」がある場合には、当該他国を防衛するための集団的自衛権の行使も許容されるとし、内閣総理大臣が自衛隊に出動を命じることができる場合として、この文言が自衛隊法76条1項に付け加えられている。
これは、個別的自衛権の行使のみが憲法上、認められるとの従来の政府見解の示すその論拠に基づいて、集団的自衛権の行使が限定的に認められるかのように装うものである。しかし、自国を防衛するための個別的自衛権と、他国を防衛するために他国の要請に応じて武力を行使する集団的自衛権とは、その本質を異にしており、前者のみが許されるとするその論拠が、後者の行使を容認するための論拠となるとはおよそ考えられない。
平成26年閣議決定は、政府の憲法解釈には「論理的整合性」と「法的安定性」が要求されるとしながら、「法的安定性」については、何ら語るところがない。「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」という、いかにも限定的に見える法の文言と政府の実際の意図との間には、常人の理解を超えた異常な乖離があり、この文言が持つはずの限定的な役割は実際には否定されている。
平成26年閣議決定の提示する憲法解釈には、「論理的整合性」も「法的安定性」も欠如している。このような破綻した論理に基づいて、長年にわたり繰り返し政府によって表明され、国民に対する約束としての性格を帯びる、個別的自衛権の行使のみが現在の憲法9条の下で認められるとの有権解釈をこの閣議決定が変動させたことは、明らかに違憲である。
国家賠償法1条1項の違法性については、人格権につき、生命・身体の安全が侵害される具体的危険の発生が客観的に予見されない限り権利侵害があるとはいえないとの判断基準は、通常の国家賠償事件においては適切なものであり、過去の最高裁判例においても同様の判断基準が採用されていると考えられる。しかし、以下の2つの事情から、この判断基準は、本件については適切とは言えない。
第1に、いったん集団的自衛権が実際に発動されあるいはその発動が切迫していることが客観的かつ具体的に予見される状況に立ち至れば、裁判を通じて国家賠償法上の違法性を認定することは、もはや遅きに失することとなる。違憲性の明白な集団的自衛権行使及びそれに対する他国の反応により、極めて多くの国民の生命・身体に対して回復困難で、かつ、計り知れない損害が加えられることが必至となる状況に立ち至るまで、裁判所が国の行為の違法性について判断を控えるべきであるとすることは、司法権の行使を放棄するに等しく、国民の裁判を受ける権利をないがしろにするものである。国の一連の行為の出発点となる憲法解釈の変更に明白な違憲性が認められ、その結果、いったん政府が具体的な行為をとるならば多くの国民に膨大で甚大かつ不可逆的被害が発生する危険性がある場合には、そうした結果の発生を確実に予測し得ない場合であっても、予防=事前配慮原則にのっとり、国家賠償法1条1項における違法性を認定すべき十分な理由がある。
第2に、本件において通常の事案より積極的な司法判断が求められることは、平成26年閣議決定による政府の解釈変更の結果として、政府がいかなる場合に武力を行使するかが、曖昧模糊とした不確実性を帯びるものとなったことからも根拠づけられる。新たな解釈の下、政府による武力行使が客観的かつ具体的に予見される状況であるか否かを判断することは従前の解釈の下よりもはるかに困難となっている。自衛権発動の基準が曖昧化したために、国民の権利侵害に関する具体的危険性発生の判断自体が困難になっている。
憲法9条をめぐるこうした不確実性を考慮すれば、具体的危険性の発生の有無にこだわるべき理由はない。武力行使の発動基準全体が漠然性の瑕疵を帯びるに至ったために結果発生が不確実となった場合には、予防=事前配慮原則に即して、具体的危険性の発生を待つことなく、出発点となる発動基準の違憲性を正面から問題とし、平和安全法制のうち当該発動基準を取り込んでいる部分の違憲性を指摘することで、数多くの国民の生命・財産が深刻な危険にさらされるリスクを根源から除去し、政治権力の恣意的な運用を阻止するという最低限の意味での立憲主義を回復することが、司法に求められる。
4 平和安全法制に関する国家賠償法1条1項の違法性の判断基準について
憲法17条は、「何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、国又は公共団体に、その賠償を求めることができる。」と規定し、国家賠償法1条1項は、国家賠償責任について、国の公権力の行使に当たる公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を加えたときは、国が、これを賠償する責に任ずると定めている。
国家賠償法1条1項の規定する「違法に他人に損害を加えた」という要件、すなわち違法性の判断は、憲法を基本とする法秩序に照らし、侵害される利益の性質と侵害する行為の態様の両面から相関的に考慮して判断すべきものと考えられる。
原告らの主張する権利利益の侵害の内容は、平成26年閣議決定とこれに基づく平和安全法制により、従来の政府解釈により憲法9条の下で許されなかった集団的自衛権の行使が容認されて、新たに自衛隊法76条1項2号により存立危機事態における防衛出動が認められたほか、外国の軍隊への弾薬の提供や戦闘作戦行動のために発進準備中の航空機に対する給油及び整備を含む後方支援活動等が自衛隊の任務に追加され、更に、駆け付け警護、武器等防護などの海外で武器の使用が認められる自衛隊や自衛官の活動が認められるなど、海外での自衛隊の任務や活動の範囲が拡大されたことにより、我が国が他国の戦争に巻き込まれたり、テロの対象とされたりする危険性が生じ、これにより原告らの生命、身体及び財産が侵害される危険性が惹起されたというものである。このような権利利益の侵害につき、原告らは、平和的生存権ないし人格権の侵害と主張するのである。
たしかに、平和安全法制により、他国に対する武力攻撃の発生を契機とする武力の行使が、憲法9条の下で認められる武力の行使についての従来の政府の憲法解釈を変更した平成26年閣議決定の示す新3要件の下で認められ、海外における自衛隊の任務や活動が拡大したことにより、我が国が他国の戦争に巻き込まれたり、テロの対象とされたりする危険性が高まることは否定できないと考えられ、これにより国民の生命、身体及び財産が侵害される危険性が高まることも、一般的抽象的な可能性として否定できないと考えられる。
しかし、このような危険性が高まるということは、必ずしも、生命・身体の安全が侵害される具体的危険の発生が、現時点において客観的に予見可能であるというものではなく、この観点から見れば、直ちに国家賠償法上の違法性を裏付けるものとはいえない。なお、その点を補足すると、原判決の「事実及び理由」第3の1(3)の説示のとおりである。
他方で、原告らは、従来の政府の憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認した平成26年閣議決定やこれに基づく平和安全法制は、憲法9条に明白に違反すると主張し、長谷部教授の意見は、国の一連の行為の出発点となる憲法解釈の変更に明白な違憲性が認められ、その結果、いったん政府が具体的な行為をとるならば多くの国民に膨大で甚大かつ不可逆的被害が発生する危険性がある場合には、そうした結果の発生を確実に予測しえない場合であっても、予防=事前配慮原則にのっとり、国家賠償法1条1項における違法性を認定すべきであると述べる。
この観点から見ると、たしかに憲法9条の下で許容される武力の行使の範囲についての従来の政府解釈を変更した平成26年閣議決定と平和安全法制は、従来の政府の憲法解釈により憲法9条1項の下で許されないと解されていた集団的自衛権の行使を、限られた場合とはいえ容認したものであり、憲法の基本理念である平和主義に重大な影響を及ぼす可能性のある憲法解釈の変更である。平和主義を基本理念とする憲法の下において、仮に原告らの主張するように、戦争放棄や平和主義の理念に反する違憲性の明白な憲法解釈の変更が、憲法改正の手続によらずに行われたとすれば、憲法の平和主義の理念に反する違憲性の明白な侵害行為によって生ずる生命・身体の安全に対する危険性を国民が甘受すべき理由はなく、また、そのような武力の行使に関していったん政府が具体的な行為をとれば、多くの国民に重大かつ回復不能の被害が発生する危険性が生ずるおそれがあるといえるから、このような場合には、違憲性の明白な行為によって生ずる可能性があるそのような重大な危険を未然に防止する必要性も高いといえる。
したがって、閣議決定による憲法解釈の変更と平和安全法制について、憲法の平和主義の理念や憲法9条の戦争放棄の規定に反する違憲性が明白であれば、明白な憲法違反の行為によって平和が脅かされた場合における国民の生命・身体の安全に対する危険が重大かつ回復不能なものとなることも踏まえ、具体的な政府の行為による結果の発生を確実に予測できない場合でも、侵害行為の態様と侵害される利益の性質を相関的に考慮して、違法な権利利益の侵害になり得ると解するのが、国家賠償法1条1項の違法性の判断の在り方として相当であると考える。
5 平成26年閣議決定と平和安全法制の明白な違憲性の有無について
従来の政府の憲法解釈では、憲法9条の下で極めて限定的に許容される武力の行使についての3要件(①我が国に対する急迫不正の侵害があること、②これを排除するために他の適当な方法がないこと、③必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと)を確認し、憲法の下で、武力行使を行うことが許されるのは、我が国に対する急迫不正の侵害に対処する場合に限られ、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とする国際法上の集団的自衛権の行使は、憲法9条1項に反して許されないと解していた。
平成26年閣議決定は、武力の行使が許される新たな3要件(①我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること、②これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと、③必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと)を示し、新3要件による武力の行使は、自衛のための措置として憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至り、この武力の行使には、他国に対する武力攻撃が発生した場合を契機とする武力の行使が含まれ、これは、国際法上は集団的自衛権が根拠となる場合があるとの解釈を示した。
平和安全法制により改正された自衛隊法76条1項2号は、新3要件のうち第1要件に該当する事態(存立危機事態)に際し、内閣総理大臣が自衛隊に防衛出動を命ずることができることを定め、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」に際し、他国に対する武力攻撃の発生を契機とする自衛隊による武力の行使が可能となり、その限りでは、国際法上の集団的自衛権の行使が、自衛隊法により可能となった。
原告らの主張や長谷部教授の意見によれば、憲法の有権解釈は、憲法典と一体として憲法の内容を構成し、個別的自衛権の行使のみが憲法9条の下で認められるという有権解釈を閣議決定が変動させたことは、明らかに違憲であるという。
たしかに、従来の政府の憲法解釈においては、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とする国際法上の集団的自衛権の行使は、憲法9条1項に反して許されないと明確に解釈していたのであるから、平成26年閣議決定や平和安全法制による自衛隊法の改正により、他国に対する武力攻撃の発生を契機とする武力の行使が自衛隊に認められ、その限りであっても集団的自衛権の行使が容認されたことは、従来の政府の憲法解釈を明らかに変更するものであって、憲法学者の多数の意見や政府の憲法解釈を担ってきた多くの行政官の意見のように、憲法9条1項の下で許される武力の行使の限界を超えると解する余地もあると思われる。
しかし、一方で、新3要件の下で認められる他国に対する武力攻撃の発生を契機とする武力の行使は、あくまで、「これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」、「これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと」という要件をも満たす場合に限られ、その限りで国際法上の集団的自衛権の行使が憲法上容認されるという解釈が示されたものであって、国際法上の集団的自衛権の行使が全体として憲法上容認されるという見解が示されたものではない。
内閣総理大臣も、国会において、平成26年閣議決定により憲法上許容されると判断するに至った武力の行使は、新3要件を満たす場合に限られており、あくまでも、我が国の存立を全うし、国民を守るためのやむを得ない自衛の措置に限られると答弁し(前記2(1)①)、上記の趣旨を明確に述べている。
新3要件の解釈について、内閣法制局長官は、国会において、第1要件の「他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」とは、他国に対する武力攻撃が発生した場合において、そのままでは、すなわち、その状況の下、国家としてのまさに究極の手段である武力を用いた対処をしなければ、国民に、我が国が武力攻撃を受けた場合と同様な深刻、重大な被害が及ぶことが明らかな状況であることをいうものと解されると答弁し(前記2(2)①)、第1要件のうち「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある」とは、「我が国が武力攻撃を受けた場合と同様な深刻、重大な被害が及ぶことが明らかな状況」に限られるという解釈を示した上で、第1要件に該当するかどうかについては、我が国に戦禍が及ぶ蓋然性、国民がこうむることとなる犠牲の深刻性、重大性などから客観的、合理的に判断することになり、明白な危険は、単なる主観的な判断や推測等ではなく、客観的かつ合理的に疑いなく認められることをいうとの解釈も示し(同②)、第2要件の「これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと」の趣旨について、他国に対する武力攻撃の発生を契機とする武力の行使についても、あくまでも我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置に限られ、当該他国に対する武力攻撃の排除それ自体を目的とするものではないとの解釈を示している(同③)。
憲法の平和主義の基本理念の根幹をなす憲法9条1項の解釈変更は、仮にそれが憲法解釈において許される範囲であるとすれば、政府の国会答弁における上記のような極めて限定的な趣旨及び解釈の説明は、平成26年閣議決定や平和安全法制の解釈運用に当たって、憲法上、特に重んじられるべきものである。平成26年閣議決定と平和安全法制において憲法上容認されると解釈された他国に対する武力攻撃の発生を契機とする武力の行使は、あくまでも我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置に限られ、一般的な集団的自衛権の行使として許容される当該他国に対する武力攻撃の排除それ自体を目的とする武力の行使は、国際法上は許されるとしても、憲法上は許されないことに変わりがない。また他国に対する武力攻撃の発生を契機とする武力の行使は、我が国が武力攻撃を受けた場合と同様な深刻、重大な被害が及ぶことが明らかな状況が、我が国に戦禍が及ぶ蓋然性、国民がこうむることとなる犠牲の深刻性、重大性などから客観的、合理的に判断して認められる場合に限られるという国会答弁に示された厳格かつ限定的な解釈の下に、平成26年閣議決定による武力の行使の新3要件も、存立危機事態における防衛出動を可能とした自衛隊法76条1項2号の規定も、厳格に解釈運用されなければならない。
平成26年閣議決定による武力の行使の新3要件における限定的な要件や、その厳格かつ限定的な解釈を示した政府の国会答弁も踏まえて検討すると、平成26年閣議決定や平和安全法制によって、それまで政府の憲法解釈において一貫して許されないと解されてきた集団的自衛権の行使が、このような限定的な場合に限り憲法上容認されると解されることになったとしても、憲法9条1項の規定や憲法の平和主義の理念に明白に違反し、違憲性が明白であると断定することまではできない。
長谷部教授の意見には、平成26年閣議決定による政府の解釈変更の結果として、政府がいかなる場合に武力を行使するかが、曖昧模糊として不確実性を帯びるものとなったという指摘もある。この点、政府の憲法解釈の変更や平和安全法制による自衛隊法改正によって、限られた場合であっても集団的自衛権の行使が容認されたことにより、その解釈運用につき不確実性が生ずること自体は免れないであろう。
しかし、政府が国会に対して厳格かつ限定的な解釈を示した答弁をしたことが、憲法の平和主義と民主主義の理念に基づき、今後の政府の行動において、憲法上の重みを持ってしっかりと守られるべきものであることを前提とすれば、そのような解釈運用の不確実性があるからといって、平成26年閣議決定による政府の憲法解釈の変更やこれに基づく平和安全法制が、憲法9条1項の規定や憲法の平和主義の理念に明白に違反するとまではいえないというべきである。
6 憲法改正・決定権又は国民投票権に対する侵害について
平成26年閣議決定や平和安全法制は、政府の意思決定や国会の立法にすぎず、憲法の条規を改正するものではない。仮に、政府の意思決定や国会の立法が憲法に違反するとすれば、そのような憲法の条規に反する法律及び国務に関するその他の行為は、憲法98条1項により、その効力を有しないと定められているから、当然に無効となるにすぎず、憲法を改正する効力を有するものではない。
憲法改正・決定権の侵害や国民投票権の侵害を理由として、国家賠償法1条1項の違法性をいう原告らの主張は、主張自体において理由がない。その理由を補足すれば、原判決の「事実及び理由」第3の1(4)の説示のとおりである。
7 結論
平成26年閣議決定や平和安全法制が、憲法9条1項に明白に違反するとまではいえないから、これらの政府や国会の行為によって、違法に原告らに損害を加えたという国家賠償法上の違法性が認められない。
原告らの請求は理由がないから、これを棄却した原判決は相当である。本件控訴は理由がない。」
本裁判例は、実質判断に踏み込んだ点と、安保法制(平和安全法制)は合憲であると判断した点に特徴を有しています。

